年末年始の東京駅・新幹線乗り場はできることなら避けたい場所だ。
特に年末も押し迫るとホームは溢れんばかりの人、人、人、でいっぱい。
人の波間を泳ぐのに自身はあるが、この混みようでは泳ぎ抜ける隙間自体がない。
毎年、この時期、この界隈はなるべく避けるようにしていたが、母の骨折騒動でそうもいかなくなった。
ホームには車両番号の立て札を持った駅員さんが各車両のドア横と、そしてそこから並ぶ人々の最後尾とについている。列が乱れるのを防ぐのだろう。
なるほど、この混雑の中 どの列の最後尾がどの客車なのか全くわからない。何せ、行手前方に見えるのは蠢く人、人、人・・・目印は必要だ。
いつもなら直前に指定席もとれる、がこの時期は無理。
故郷との間を行き来している間に、令和元年が終わり、令和2年となった。
年の瀬?
神仏にお供えをし、蕎麦を啜り、紅白を見た、
それだけだ・・・大掃除もしていない。
何もする気になれなかった。
ただ一つ、これだけは、と気にかけたことがある、
それは風邪をひかないこと。
毎年この時期にはインフルが流行し、院内感染を危惧する病院・施設がより神経質になる。
病院、介護施設に出入りする家族として、自らの健康はなんとか維持したい。
新幹線の利用客が増えるこの時期、列車内での感染リスクも増える。
果たして効果のほどはどうなのか釈然としないが、クレベリンのペンタイプまで購入してしまった。
そして私が倒れたら母を見舞うものがいなくなる。介護者がもっとも気をつけるべき事、それは介護者自身の健康なのかもしれない。
三が日が過ぎたこの日、まず向かったのは実家。
家屋のメンテは勿論、正月に配達されいるであろう母宛の賀状他郵便物回収のためだ。頂いた賀状には寒中見舞いという形で返事はしておこう、と考えていた。
郵便受けに投函されていたのは、賀状数枚と他数通。
1枚は親戚のTさん
もう一枚はそのTさんの姉、Hさん
他2枚はxxさん、yyさん・・・親戚筋と思われるが私にはわからない。
(どういう筋の方か、それとなく母に聞いてみるか・・・)
少し早いが、仏壇、神棚から供物をを下ろす。
誰もいない屋内に放置してごきぶり、ねずみの類の侵入を助長することになっては大変だ。
年明け初めての施設訪問。
母の表情は変わらず穏やかだった。
あけましておめでとうとは、敢えて言わず
いつも通りに声をかける
どう?調子は?
外は寒いよ
歯のグラグラはどう?
便秘は?お通じは?
ご飯はちゃんと食べてる?今日は何を食べた?
そして、会話で一番時間を割いて何度も繰り返すように努めているのは、
✔片足の大腿骨を骨折したこと
✔もう片方の大腿骨を骨折する人が多いこと
✔リハビリに前向きだとN病院で褒められたこと
✔だからといって、先を急ぐと転倒骨折の可能性が大きいこと
✔当分は車椅子、気長にじっくりリハビリすることが肝心なこと
だ。
時として、自らが骨折したことを初めて聞いたといった風の母に、度ごとに繰り返し伝える、いや、伝えなければならないことだ。
4度目の骨折なんてしないに越したことはない。
しかし、母の新たな骨折リスクは冷静に見て、前よりも高まっている。
さすがに車椅子に座っている時は大丈夫?でも問題はベッドへ、あるいはトイレの便座へ移動する時だ。
居室という一人だけの空間で母がどう行動するか次第、という面も大きい。
何よりも、直近の大腿骨骨折どころか、過去に骨折したことさえ、母の意識の中には無い、というのが怖い。何気に動いて、転倒というリスクが一番大きい気もする。
何度も何度も繰り返し伝えることで、僅かなりとも意識してくれる可能性があるのではないか?それがゼロだと断言する根拠もない。
ならば、できることはしておこう、何度も何度も会うたびに注意を喚起しておこう、というわけだ。
鳴き声を忘れたホトトギスなら、こちらが鳴いておけばよい。
鳴かぬなら、私が鳴こうホトトギスだ。
ところで母さん、xxさんっていたでしょう?
と頂いた賀状にある差出人の苗字をあげながら母に確かめてみる
昔の記憶は残っている母である
首を傾げる事もなく、それは、あれは、と淀みなく返事が返ってきた。
xxさんは父方、yyさんは母方の親戚筋とおおよそのところはわかった。
そして、松の内が明けると同時に礼状を投函した。
寒中お見舞い申し上げます。
新年のご挨拶が遅くなり大変失礼いたしました。
母○○、昨年□□月に大腿骨を骨折、現在療養中の身につきまして、成り代わりお便り申し上げる次第です。
寒さ厳しき折、風邪などお召しになられませんようご自愛下さい。