退院当日。
30分ほど余裕を見て病院入り。受付で費用の精算。
N病院には月3回の締め日、度ごとの現金精算。
救急病床での患者は大抵の場合1ヶ月程で転院となる故、口座引き落としなどは手続き上難しいのだろう。
この日、請求金額は約7万、さもありなん。
1週間ほど前にもほぼ同額、その前は確か3万程・・・この種の骨折で入院すると例え後期高齢者1割負担でも、1ヶ月間で十数万〜二十万程の出費になるということか。
前回、2度目の骨折で搬送されたS病院退院時、自動決済機に吸い込まれた現金も似たような額だった。
高額医療費負担の還付は後日母の口座に振り込まれはするものの、一旦は家族が全額賄うことになる金額だ。
骨折などしないに越したことはない。
金銭なら精算と同時に全てが終わる・・・
だが、当人・家族共に被ることになる有形・無形の負担・・・その中で大きい、取り返しのつかない、ことは当事者が被るであろう無形負担の部分だ。
高齢者が入院で、肉体的・精神的にさらなる衰えを見せ、最悪寝たきりに、とよく指摘される。
手術という肉体的苦痛も含め、最大の負担を背負うことになるのは当事者、つまり入院する高齢者自身なのだ。
痛みは時間が癒してくれるかもしれない。
が、一旦入院で衰えた肉体を元に戻すことは簡単ではないようだ。
それどころか精神的衰えまで被ってしまうと人生の階段を加速度的に転げ落ちるトリガーにつながる可能性さえあるのだ。
何度でも言おう、骨折などしないに越したことはない。
それでも、毎年のように、特に冬場、あちらこちらの整形外科病床は骨折で運び込まれるお年寄りで満床状態になる。
なぜだろう?
「俺は、わたしは大丈夫」「まさか、うちのおじいちゃん、おばあちゃんに限って」と皆思っているからではないか?
輪をかけて、「年寄り扱いするな」という当事者自身の反発が大抵の場合加わるが故、悲惨な状況が変わることもなく、毎年繰り返されることになっているのだろうか?
支払いを済ませ最寄り階のナースステーションに退院の旨を告げ、病室へ。
ドアは開いており、入って直ぐの母のベッド脇の様子が見えた。
背をこちらに向け車椅子に座る母、その向こうに看護師と思しき方が身を屈めて何やら笑顔で話している。
近づいてみると、それは施設の介護士さんだった。
あっ、もういらしてたのですか!
お忙しいところすみません、今日はよろしくお願いします。
いいえ、お荷物の方はすでにこちらとこちらに詰めておきました。
それはすみませんでした。荷物の方はわたしが持ちますので・・・
退院時七つ道具の一つ、大袋も用意していたが、今回その出番はなさそうだ。
大袋は最初の骨折の際に準備し、過去2回共大活躍したものだ。
歯磨きセット、入浴セット、パジャマ、手拭い、バスタオル、ティッシュボックス、未使用のオシメ、下着類、お薬、もし運び込んでいれば毛布・・・等結構な嵩になる
そう言えば、嵩張るものは予め施設の方に運んでおきます、と施設長は言っていた。
介護士さんがまとめて下さった荷物は、デパートの手提げ袋二つ。
私がそれらを持ち、介護士さんが母の車椅子を押し、早々にN病院を後にした。
北風に運ばれるキンとした冷気が縦横無尽に通り抜ける駐車場。
N病院の外に出るのは救急搬送されて以来初めてとなる母が、背中を丸める。
外は寒いよぉ! 北風が吹いているからね。
ほんとだ、こんな中にずっといたら凍っちゃうねぇ。
介護タクシーよりは小ぶりの車体だが、車椅子の母をそのまま乗せるには十分な介護専用車。介護士さんが、慣れた手順で車椅子の母を車に乗せ、介護士さんの運転で施設に向かう。
どう?久しぶりの外は?寒かったでしょう?
ほんとだねぇ、長くいたら風邪ひいちゃうねぇ。
相槌を打ちながらも、どことなくすっきりした表情の母。
道すがら、時々後ろを振り返り様子を伺う。母はしきりに窓の外を眺めている。
随分おとなしいね、まぁ、周りの景色も久しぶりだろうから、観光しておくといいよ。
ここはどこだい?
ここは隣町のxxだよ。
あぁ、そうなんだ。
車上での母は至って寡黙。
初めて見るN病院周辺からの風景が興味深かったのか・・・。
介護士さんが話しかけてきた。
あの・・・
今後の治療のことで、K病院で引き継ぎたいと書類をお願いしたのですが、「それはN病院の方で行いますから」と言われてしまいました。
そうなんですか。
私が主治医の方・・・病院の院長先生になりますが、それについてどう思うか伺った時は、”可能なら”それはN病院で行いたいんだよね、と苦笑いしながら答えられていました。
もちろん、主治医として今後も患者を見守りたい、経過を見ていきたい、という思いが第一にあると思いますが、病院長としての思いも込められているのかな、とその表情から感じました。可能なら、と言うのですから、可能でない、という選択肢もあるのかな、と私は思っています。
そうですか。
骨を強くする月一の皮下注射ですが、イベニティという高額な薬剤で月に一度とはいえ総額で5万程します。
えぇ!そうなんですか?
それを今後毎月N病院で、とそういう意味もあると、私は受け取っていて・・・。
患者としては1割負担なので5千円か、となっても、医療機関にとってはまた考え方も違うのかなと・・・
もちろん、それ以前に、執刀医として術後の経過を自ら見守りたいという思いは当然のことでわかるのですが・・・。
そうですよね。
では、毎月、施設とN病院の行き来をどうするのか、どう付き添うのか、果たして私に務まるのか、これまで例えば圧迫骨折、下腿部骨折、筋肉痛、骨粗しょう症、便秘、あれこれは全てK病院さんにお世話になり、その指定調剤薬局で薬剤の管理も施設と共同でしていただいて・・・、
その一方で、今度は、大腿骨についてはN病院で・・・と・・・あれはK病院、これはN病院というよりは治療、薬局、窓口、支払い含め全て一括されていた方が・・・と個人的には思います。
そうですね。
それでは、リハビリ面での引き継ぎはどうなのか、これからどの程度の交流を図る必要があるのか、はわかりませんし、K病院整形外科の先生のご意見も伺ってからになるのでは、とも思っています。
そうですよね。
明日、明後日に結論出さねばならぬ程の緊急性もないので、あとは施設長の方で色々お調べいただいた上で、またご相談するような形になると、先日施設長とお電話で申し合わせはしました。
はい、そのように伺っています。
あとはご関係の皆さんの意見を総合して、決めていくことになると思います。
わかりました。施設長にもそのように伝えておきます。
それにしても あまりに静かだ。
母に声をかける。
随分静かだね、眠くなった?
母は相変わらず外を眺めているように見える。
いや、大丈夫だよ。話は聞いているから
そう。もうすぐ到着するからね。車の中だと寒くはないでしょう?
本当だ、外とは全然違うねぇ。
こんな日に外を歩っていたら風邪ひいちゃうからね。
年末ということもあり渋滞にでも巻き込まれたら、と心配していたが、そんなこともなく程なくして施設に到着した。
1ヶ月ぶりの施設を母はどう感じるのだろう?ここはどこ?となるのだろうか?