それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

帰省

首都圏にまんえん防止発出かとなった1月中旬、月末の予定を繰り上げ帰省。
母のワクチン接種券の回収、それが目的。

 

11月下旬頃だったろうか、首都圏の感染者数がピクつき始めた一方で、東京発の下り新幹線の利用客が少しづつ増加。

f:id:masakahontoni:20220205171944j:plainそれが12月になり始発列車を待つスキー客が下り新幹線のプラットホームに目立ち始め・・・年の頃20代、大学生、若手会社員といった年代が多かった。

雪が降った、滑りたいよね、感染者もまぁ減ってるし、水際対策中のオミクロンもインフル程度だっていうじゃん・・・そんなところだろうか。

日本海側各地に大雪が降り続くに至り、いやが上にもスキー客増加が見込まれる下りの新幹線、利用はもう無理と早々に年内帰省を諦めた。

帰省したところで、差し迫って実家の掃除をするくらいの用事しかない。

が、例年だったら仏壇・神棚の掃除ぐらい言い訳程度でも行って、供物の一つも揃えておきたいタイミング。

 

思い起こせば、遠方からの面会者を禁じてきた母住まう施設から、連絡が来たのも11月だった。”そろそろ面会OKにします”と。

 

f:id:masakahontoni:20180823154054p:plain「そうは言っても最近何気にそちらの感染者数が・・・やっと少なくなったと思っていたのに・・・」

 

f:id:masakahontoni:20210330105843j:plain「そうなんです・・・本当になんでこうなるのか・・・」

 

f:id:masakahontoni:20180823154054p:plain「本格的に増加に転じる可能性もありますのでしばらく様子を見てからにします。三回目のワクチン接種もあるのでしょうから、それが終わってからでもいいのかもしれません。」

 

結局、私は面会を躊躇した。

 

施設の母に会う、それは多くの高齢者と関わる従業員方々のいるバブルの中に私が入る、こと。

それがなんとなくも不安。

私が何かを橋渡しするという最悪のリスクは消しておきたいし、遠路はるばる私が訪れることで方々に気遣いさせるのも・・・どうなのか? 

会うか、止めるか、人と場合によっては究極の選択となるのかもしれない・・・が。

 

12月になると各神社仏閣で新年に向けての体制が公になってくる。

もう全て幸先詣にしてしまおう、と決め、それを12月半ばにと思っていたが、それをも断念、参拝も諦めた。

コロナ禍もはや2年、迎える側もお札、縁起物の郵送に応じるところが目立つ。改めて後日お参りするチャンスが来るかもしれない、とその場限りの体のいい折り合いを勝手につけ、それらの”サービス”を利用してみることにした。

 

ただ、2年続けて見送らざるを得なくなったお伊勢参りにはいまだ諦めがつかない。

その昔、当時実家で独り住まいの母が年の瀬真っ只中に転倒骨折、入院、手術で中止したあの時を除いて、毎年のように繰り返してきた、それがもう2年続けて滞ることになる。 

f:id:masakahontoni:20220205173601j:plain関西在住なら、思い立った時に行けるのに。あぁ、住まいが関西だったら・・・。

 

前回は12月中旬、早々と宿泊予約をキャンセル。

今回はぎれぎれ二日前まで粘った。宿屋には申し訳ないが、どうしても、という気持ちが強かった。

しかし年が明けてから、まるでタイミングを合わせるかのように感染者数が急に増加していく。

それを目の当たりに、白旗あげざるをえなくなった。降参だ。無条件降伏だ。

 

東京別館の東京大神宮があるじゃないか、とか、近隣で頒布される角祓で十分、という話もあるが、別物とまで言わぬがそれは趣の異なるもの、代わりにはならぬもの、そう思っている。

大和の長谷寺詣の代わりに、鎌倉の長谷寺詣?それは趣が大分異なる・・・大和には大和の、鎌倉には鎌倉の趣がある、とでも言おうか?

叶うことなら3月の中旬にと、宿に予約を入れ直したが、さて3月の状況は如何に・・・。