それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

母への手紙(読み上げたもの・一部省略/削除有)

今日は、悶々と座して手をこまねき続ける事しかできなかった、私の空しさ・くやしさについてあなたにお伝えしたいと思います。

なぜ、あなたは これまで 自らただの一歩も前へ踏み出さないまま この十数年を過ごすことになってしまったのでしょうか。

事ここに至り、このような話をせねばならぬ事となり、悔しい限りではあります。そして、それを聞かされる本人にもこれは悲しい場面になるかもしれません。

この話は本日が最後、今後二度とここまでお話しすることはないでしょう。このような苦しい思いを私も繰り返したくありません。

 

私は、十数年前から世の中がこのような状況になることを恐れておりました。けれども、あなたはそれが自らのこととして深刻に考えてはいないように見えます。

そして、世がそのようになるかもしれぬなら、あなたには 多くの方々が直面するかもしれない状況には陥らないでほしいとこれまでずっと願ってきました。

 

あなたが70の声を聞く前、あなたに減量を勧めたことを覚えていますか?

その体型をみるに、年齢を重ねるにつれそのままでは足腰が体重を支えきれなくなる時がくる。五体満足に高齢期を迎えるには、年相応に衰えるであろう足腰への負担を、高齢期を迎える前に減らしておかねばならぬと考えたからです。

低GI値の食品を食べること然り、進捗状況を毎日ノートに書きとめる(記録をとる)こと然り。食べずにやせるのは修行僧の断食。バランスよく、食べるべきものを食べてやせるのがダイエット、と繰り返し、関連本も手渡してきました。

果たして、あなたは何一つ実行することなく、高齢期を迎えてしまいました。あの時の冊子も本棚に当時から放置されたままです。そしてあなたの今の現状があります。

 

父さんが亡くなり暫くしてから、年末から正月にかけ二人で毎年のように温泉に泊まったのを覚えていますか? なぜそのようなことを繰り返したのか今日初めてあなたにお伝えします。

もちろん、楽しんでもらいたい、というのが一つ。が、それだけではありません。

 

私はこう思っていました。いつの日か、このような定期的な”恒例行事”が遂行できない日が来る、いつその日が到来するのかよりどころとしたい、と。

そして、一方では、密かに、期待もしていました。なんとかがんばって今年も息子と温泉にいくぞ、と あなたが前向きに頑張る一つの目標としてほしいと。

 

でも、それは、予想よりも早く、終わりがくることとなります。年末ギレギレに「今回はいけないから」と例によってヒステリックに声をあげキャンセルを通告してきた、あなた。それは あなたなりに何とか頑張ろうという気持ちがギレギレまであったのだろうと、私は前向きに考え、その場では平静を装いました。

私が実のところ平静を失いかけたのは、ギレギレにキャンセルされた、からではなく「いよいよ、そういう時がきたのか」という思いが私の心に押し寄せたからです。

 

いつの頃からか、私は、自身の「悪い予感、が往々にして現実となってしまう」ことに、悩んできました。そして、ある(悪い)予感が浮かんだら、実際それが現実となったときの影響に思いをはせ、某かの行動を早くからとるように、心がけてきました。

足腰と、それがささえる体重のバランスがとれずじまいのあなたは、私の予感、より更に早く、年末年始の温泉を断念するに至りました。

加えて更に残念だったのは、温泉行きが終焉をむかえるなか、刺身を食べることを止めてしまう、という、更なる予想外の事態となったことです。

高齢者にもかみ砕きやすく、さらに、必須のタンパク源を豊富に含み、まさに高齢者のための食材ともいえる刺身を以後口にしなくなったわけです。温泉地から帰宅した晩、腹痛に悩まされ夜間診療所に駆け込んだあなた。医師の診断は食中毒だったでしょうか?

 

私には、あなたの健康状態をはかる尺度として、この年末年始の定期的行動の他に今一つよりどころにしていることがありました。

予想より早く、温泉行きを断念したあなた。そういう時がきたのか、うろたえた私。そして、残る、二つ目の「よりどころ」、それはあなたのプール通い、というもう一つの定期的な行動でした。

 

が、残念ながら、これも、思いの外早く、断念することとなりました。それでも、なんとか、定期的でなくともプール通いを続けてほしいと、その話題を電話であれ、帰省時であれ、会話の中であげたのは、それがあなたの唯一の社会との、友人との定期的な接点であり、また、唯一、一定時間を確保しての運動をする機会であったからです。

 

足腰は衰えるのに、それがささえる体重は依然 ほぼ変わらぬまま、足腰は年々着実に衰え、温泉行きを諦めてから、坂道を転げ落ちるように、あなたの行動範囲は縮小化しました。

行動範囲が狭くなれば、そういう機会が少なくなれば、それに比例して筋力も脳力も衰えていくのは必定。年齢に限ったことではありません。若者なら、回復に時間はかかりませんが、高齢者では回復自体に大変な努力を要することになります。

 

あなたが温泉行きを断ってきた時、「とうとう来たか」と思った私。そして、プールへの定期行動がままならなくなり、「もうそうなってしまったのか」と当惑した私。ここから先、一気に体力が衰えてしまうのではという あのいつかの予感がよみがえります。

それからのあなたの生活環境に不安を抱き、携帯電話をもつことを勧めました。当時「帯状疱疹」だ、「脊柱管狭窄症」だ、とプール行きがままならなくなったあなたを見、携帯電話を持てば;

 ✓当時廊下脇にあった電話口まで行かずとも、傍らの電話がつかえ楽なのではないか

 ✓音声での伝達、では何を言ったか、言われたか、不確かなこともある。携帯電話
なら、文字での連絡ができ、誤解、約束忘れ、を避けることができるのではないか

 ✓私からこまめに、文字連絡をすることであなたの精神的孤立化を少しでも防ぐこ
とができるのではないか

等と考えたからです。

 

あなたは覚えているでしょうか、携帯電話を勧めたよりもずっと前、当時あった年代物の電話機をFAX機能付きのものにしようと私が提案したことを。私は同様の気持ちでそれを勧めました。でもあなたは受け入れませんでした。「使わないから」と。

そして、携帯電話です。「監視されているようでいやだ」とヒステリックに叫びながら連絡してきたあなた。

おぼえていますか? 私がその後帰省したときあなたに念押ししたことを?

 

携帯電話をどうしても持ちたくないのなら仕方がない。ただし、それによって不利益を被る日が来てもそれを受け入れる覚悟を互いにに持たねばならない、と言ったことを?

 ✓あなたが かけたいときに電話をかけられなくなるかもしれない。

 ✓逆に、私がかけたいときにあなたがすぐにでられない事態が生ずるかもしれない。
健康上の非常事態、天変地異が起きたときの互いの安否確認にも、時間がかかるかもしれない。

 ✓文字での確認ができないことで、互いにすれ違いが起こるかもしれない。

そういう不便なことが起こるかもしれません、と。

 

そして、その後まもなく、思いもしなかった出来事がたてつづけに起こりました。

一つは、ある晩のあなたからの電話。「今日帰ってくると先日言ってたけど、まだ帰ってこない。どうしたの?」・・・その1週間前、来週の何月何日の夕方変えるよ、と電話で知らせていましたが、それを正確に覚えていなかったのです。

いや、最初は単なる間違いなのか迷いました。あのときFAXを導入していれば、携帯電話の文字送信だったら、とも思いました。
けれども、それはたまたまの出来事ではありませんでした。その後同じような出来事が繰り返されたからです。

あなたが、プール通いを定期的には通えなくなって 半年もたたない内におき始めたことです。

 

私はあわてました。それまで、あなたの肉体的衰えの進行度合いばかりを気遣ってきた私でしたが、「これはもしかすると、脳のほうまで何らかのことが起き始めてしまったのか・・・?」という思いが加わることになったからです。

 

そして、思いもしなかった出来事の二つ目が起こります。

骨折です。

わたしの驚きと焦燥はさらに膨らみます。

 

実を言うと、骨折そのものより心配したのは、入院、という事態です。多くの場合、世の高齢者がなにがしかの疾病で入院したことを境に、一気にからだが不自由になり、認知能力も大きく衰えるケースが多いと耳にしていたからです。

私が毎週のようにあなたを見舞い、その度ごとに、様々な冊子を持参し、骨折した腕以外の運動、常に頭を働かせるよう日記を付けること、本を読むこと、等々を口うるさく伝えたのはそのような背景があったからです。

これを機に一層あなたの身体と脳が衰えてしまうのではないか、沸き上がる更なる悪い予感、そしてそれが打ち消されることを天に祈りながら、あなたを見舞いつつ、毎週その様子を観察していました。

 

「いや、今日もナースステーションまで歩いたよ」「ちゃんとやっているよ」とあなたは口にしていましたが、あなたの様子・表情を毎週定期的に観察していた私には全くそうは見えませんでした。

 ✓実際のところ、日記はつけていない

 ✓本はほとんど読まない。拾い読み程度。

 ✓運動はほぼしていない

ちょっと書いた、ちょっと読んだ、ちょっと歩いたではとても十分とは言えません。髪に櫛も入れずぼうぼうの頭髪そのままに、ぼーっとベッドに横たわっているあなた、そして入院中のあなたの奇行、常軌を逸した言動の数々、あなたは気づいていません。

 

以前からあなたは、自らの感情を制御できない、一面があると私は思っています。年齢によらず、人は頭にくることも、不安になることも、悲しくなることも色々あります。ましてや、今の世はストレス社会、昔にも増して多くのストレスが各個人にかかりやすい。

多くの場合、人はそれを理性で制御しますが、制御ができない人が少なからず一方で存在しています。最悪の場合、怒りにまかせて暴言を吐く、暴力を振るう、そして警察沙汰になるほどの事件を引き起こしてしまう。もちろん、そんな状態にあなたがあるとは言いません。が、私から見るに、それでもあなたは理性による制御能力に劣っています。

何か一つの不安要素が頭に浮かぶとそれを制御できない、周りを気にかけることなく、理性的に状況判断をすることなく、すぐ行動をとってしまう、すぐ言動に変えてしまう。そのような一旦は入院前からあなたの一面としてみられたものです。ただ、入院、という自宅とは別の社会の中でも、周りのものが見るにちょっとおかしい、と思われるような言動・行動が変わらずあったことも付け加えておきます。

 

結局、あなたの入院生活は、私が願ったものとは真逆のものとなり、筋力から脳力に至るまでさらに衰えての退院となりました。

 

あなたはここのところすっかり子供っぽくなってしまいました。通り一遍の体面を繕うような嘘をつき、本当のことは言いません。そして、嘘をつくときの顔はあなたが今まで見せたこともないような表情をしています。あなたが60〜70代では決して見せなかった表情、です。

 

こういう話は今日が最後にしたいと言いました。あなたは、「年をとれば皆同じ」といつも応えます。それでも、今日はこれまでのことをもう一度だけお伝えしておきます。


■今日帰ってくると言ったけどまだ帰らないどうしたの?と、私と約束した日時を覚えていなかった

■何度も帯状疱疹だから、と言っては寝込んだその翌年、私は帯状疱疹ではない、そもそも帯状疱疹は1度しかならない、と言った

■何度も脊柱管狭窄症だ、と言っては寝込みましたが、時がたち、私は狭窄症になったことはない、と言う

■ウォシュレットを設置し、その説明書の基本部分だけ説明しましたが、全く同じ箇所について15分おきに質問したあなた。そして翌朝も、全く同じ質問

■帰省した翌朝4時すぎ、早起きしご飯を炊こうとするあなた。明朝は出かけるのでいらない、と前の晩申し合わせたのに「そうだったかね」と忘れていた。その後30分ほどの散歩から私が帰ってくるとまたご飯を炊こうとするあなた。いらない、といったでしょ、と言うと、「食べないの」と初めて聞いたというような顔で応えた

■明日午前中宅配業者が荷物を届けに来るからね、と伝えたが、翌朝その確認をすると、「えっそうなの?」と驚いた

■骨折で入院時、夜間 トイレに行きたくなりナースコール入れたが、看護婦が間に合わず失禁。怒り、真夜中に大声上げ、看護婦にたしなめられた

■骨折入院時、「十分なお金を持ってこなかったため家に戻りたい」と繰り返し、
病院側を困らせた

■入院時、家の鍵をかけ忘れたかもしれないので確かめに戻りたいと繰り返した。私が毎週のように帰省し家に泊まっているのに。

■入院中、院内での介護保険面接で、自分は元気な風を装う

■退院の日、ナースステーションに最後の手続きに行くと告げた私に、一緒では何かまずいことでもあるのか?と疑った。

■退院後、ガスストーブつけようとするが、「電気コードがない、どうしよう」と言った

■自宅での介護認定をうける1週間ほど前までに、自ら事前準備しておいてほしいこと、面接当日までの段取り説明し、忘れないようその場でメモ書きするようお願いするも、3・4度繰り返さないとメモもおぼつかなかった

■介護保険の自宅面接、約束時間の30分ほど前「最近外へ出かけないので服装が心配だ。この服どう思う?」と30分の間に7回も繰り返し聞いてきた。7回とも手に持ってきた服は同じものだった。

■自宅での介護面接時、骨折したのは右腕だとゆずらないあなた。(実際は左腕)

■自宅での介護面接が終わり、今後の事務上の流れについて息子さんに説明するので、と退座を促されたが、あれこれ理由を付けその場に介入しようとした(その表情は日常見せる顔つきでなかった)

■介護認定がおり、どのように認定され、有効期限はいつまでとなっているのか電話で尋ねたが、役所から送られてきた書類を見ても、どこにそれが書いてあるのか迷い続けなかなか判断がつかなかった

■骨折入院前に検査受けようと予約していた胃カメラ。骨折のため延期となったが、2年たった今でも未だ検査を受けることなく先延ばしにしている

■暖かくなったら行くと言っていたプール。暖かくなり夏が来て冬が来て、2度目の春が過ぎたが未だプールには行っていない。それでも調子がよくなったらプールに行きたいという。
■コピーをしたいけれどどうすればいい、と夜中に電話をしてくるあなた


アメリカにはこんなお話があります。

『ある男が家にいるとひどい風がやってきた。しばらくすると家が浸水した。誰かが玄関までやってきて、車で高台まで連れて行ってくれると言う。男はこう言った”神様が何とかしてくれるさ”。

数時間後、洪水が男の家の1階部分を飲み込んだ。するとボートが通りかかり、船⻑が安全なところへ避難させてくれると言う。男は断った。”神様が何とかしてくれるさ”。

さらに数時間後、男の家は完全に水に浸かり、屋根の上にいると、今度はヘリコプターがやってきて、パイロットが陸地まで連れて行ってくれると言う。またもや男性は断って、神様が何とかしてくれる、と言った。

その後すぐに男は水にさらわれ、あの世で神の前に立つと、自分の運命について抗議した。”信じていれば救ってくれると約束したじゃないですか”。

すると神は、こう言った。”車で迎えに行かせたし、ボートを送ったし、ヘリコプターも派遣した。死んだのはおまえ自身のせいだ。神は自ら助くる者を助く。』

 

 

万事が全て「できない理由を挙げ続ける」あなた。こうすればできるのでああしたい、という言葉を聞いたことがない。そして、その場をやり過ごすだけの嘘で取り繕う。

あなたとのやりとりで、NHKのTV体操に話を向けると、あれはいいよね、と肯定的に応えてくれるが、実のところはやっていない。

ごく短時間の間に多くの動作が詰め込まれているあの体操は、たとえ椅子に座ったものでもリズム通りにこなすのは高齢者には難しい。放送のリズムに乗れなくても、後から写真を見てできるようNHK出版の写真図解本を送りもした。

それでも、あの体操難しくて、という応えではなく、あれはいいよね、と応えてしまうあなた。


運動しているか、と尋ねると、足が痛いが無理して今日は八百屋へ行った、と言うあなた。歩くだけが運動じゃないよ、足が痛いときに歩くのはちょっと賛成できないな、と繰り返してきましたがあなたには響かない。

歩けばそれに必要な筋肉は動かせるでしょう。でもそれ以外の部分の運動にはなりません。足が痛いときは無理に歩かなくとも、体の他の部分を動かす。それこそ、椅子に座ったままでも、横になったままでも、運動はできるのですよ。やりくりしながら、日頃使われていない筋肉共々、柔軟体操から筋力アップまで行わねば、使わない部分は衰えていきますよ。毎日数十分、慣れれば時間を延ばして、きまった時間を確保して、こつこつやらねば運動にはならないのですよ。

自分でどうしたらよいのか、わからぬ人でも、専門の方が作ったメニューに沿って行う方法があるのに、なぜそういうサービスを利用しようとしないのでしょう?

だからこそ、介護サービスを使うべき、あるいは、近隣で行われている様々な集いに参加すべきですよと訴えてきました。が、それでも変わらず閉じこもり生活を続けるあなた。

 

あなたの口にする話題はいつも同じです。引きこもり生活では、新たな話題も生まれません。

そして、その話題は大抵、あの人、この人の陰口です。
ごく狭い周囲の人々の陰口を、噂話をするのは、人一倍周囲の目を気にしていることの裏返しではないかと私は見ています。

それが性格だから、というのなら批判はしません。ただ、そんな話を私にもう繰り返さないで下さい。陰口・噂話のたぐいはもう聞きたくありません。

 

あなたと私は性格的にも、考え方も真逆です。お互い全く相容れない立ち位置にいることをわかってほしいと思います。

私は、私以外の人の考え方、価値観を否定しませんし、それを尊重したいと思って
います。但し、私がそう思うのだから、他の人も同じに違いない、いや、そうであるべきだ、とは思いませんし、人それぞれの違いがあることも認め尊重しています。

けれども、私の価値観、考え方、暮らし方、それらに踏み込み、別の考え方に帯同さ
せようとするいかなる試みも、受け入れることはありません。

私は、他人が私をどう思うか、にはまったく興味がないのです。

 

今日を最後に、人の陰口、悪口を私に語るのは止めませんか? あなたには朗らかな老後を迎えてほしい、夜くよくよ思いを巡らせるのは止めてほしい、と伝えてきました。

それはあなただけに限ったことではありません。私自身も、朗らかで前向きな人生をおくりたいのです。私にとっての夜は、思いを巡らせる時間ではなく、睡眠の為の時間です。

十分な睡眠は、認知能力を維持するにとても重要なものです。あなたにとっても、そうなのです。

 

思い出しください、携帯電話、FAXなどでの文字送信・受信を遠ざけることでの不都合はお互いに覚悟しなければなりませんよ?と私が言ったことを。
いざ、その時となって解決役を私に担わせようとするのには無理が多いのです。道具がない限り、私にもどうしようもない部分があるからです。

道具だけではありません、筋力も脳力も、後の祭り、とならぬよう、あなたが入院中にも、「転ばぬ先の杖」と題した文章を手渡したのを覚えていますか?

 

先ほど紹介した、アメリカに伝わる話を覚えていますか? もう一度繰り返します。

 

『ある男が家にいるとひどい風がやってきた。しばらくすると家が浸水した。誰かが玄関までやってきて、車で高台まで連れて行ってくれると言う。男はこう言った”神様が何とかしてくれるさ”。

数時間後、洪水が男の家の1階部分を飲み込んだ。するとボートが通りかかり、船⻑が安全なところへ避難させてくれると言う。男は断った。”神様が何とかしてくれるさ”。

さらに数時間後、男の家は完全に水に浸かり、屋根の上にいると、今度はヘリコプターがやってきて、パイロットが陸地まで連れて行ってくれると言う。またもや男性は断って、神様が何とかしてくれる、と言った。

その後すぐに男は水にさらわれ、あの世で神の前に立つと、自分の運命について抗議した。”信じていれば救ってくれると約束したじゃないですか”。

すると神は、こう言った。”車で迎えに行かせたし、ボートを送ったし、ヘリコプターも派遣した。死んだのはおまえ自身のせいだ。

自ら助かろうと、助けようと差しのばされた手をつかむ者を神は助ける”と。』

 

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人間には寿命がある、遅かれ早かれそれが尽きるときがくる。それが尽きたとき、あの世とやらで、あなたが父さんに出会い、こんなはずじゃなかったと言ったとして・・・

「助けようと、息子を介してあれをしたらどうか、これをしたらどうかと手をさしのべた。なぜその手をつかまなかった?」と聞かれたらどうする?

私が色々あれこれと提案するのは耳障りかもしれませんが、もしそれが私を介しての 父さんがあなたを救おうとあの世からさしのべた手だったらどうしますか?

見方を変えて、心落ち着けて、冷静に物事を考えてほしいのです。

 

あなたと私の性格はまったく相容れないもののようです。このような火と油のような相反する性格の者が同じ屋根の下に住むのはとても危険ではないかと恐れています。そのうち私がストレスに耐えきれなくなり、あなたに暴言、ひいては暴力という虐待行為にいたってしまうのでは、という不安さえあります。

 

骨折で入院する前から、あなたは認知症をいつ発症してもおかしくない状態にあります。認知症ではありません。が、それに移行してしまう可能性がある、状態と言うことです。

人は癌という疾病をとても恐れてきました。初期段階では何らの自覚症状もないからです。自覚症状がでたときにはもう手遅れ、手の施しようがない。だから、皆先を争うように内視鏡検査を行う時代になりました。都心の主立った検査病院はどこも予約で一杯です。なぜ皆が検査を受けるのでしょう? 初期の状態で発見できれば、完治する可能性が大きいからです。

今、この癌よりも怖いのが認知症です。認知症も発症してしまったら、多くの場合現時点では直すことができない。ところが、癌より始末が悪いのは、初期はおろかたとえ中〜末期に至っても、自覚症状自体が本人には無いことが多いからです。

 

骨折で入院、そして退院。すぐ、あなたを物忘れ外来に連れて行こうとしたこと、覚えていますか?

当時から私は確信しています。少なくともあなたはMCIの状態にあります。日本語では軽度認知傷害と言います。文字通り、軽度ではあるが認知機能に障害がある状態です。問題なのは、この状態から将来認知症を発症してしまうケースがある、ということです。

だからこそ、このMCIの状態を見逃さず即座に手を施すことで、将来重篤な疾病に陥るリスクを減らす、ということです。

 

正確ではありませんが、わかりやすく癌の場合にたとえれば、内視鏡検査をしました、ポリープが見つかりました。でもまだ小さい。良性です。ただ、そのまま放置すれば、やがてそれが大きくなり悪性腫瘍に変異する可能性がある。だから、早めに処置しておきましょう。これで安心ですね。ということになります。

 

だからこそ、何が何でも早期の段階で行動を起こさなければあなたの穏やかな老後はない、と受診を強固にいやがるあなたに是非診察を受けてくれと、あの日土下座をしたのです。

私は昨日のことのように覚えています。そのことが思い出され、なかなか寝つけない夜もあります。他にあなたを受診に向かわせる手立てはなかったのかと、自問自答するのです。

そして、そんな私の脳裏にいつもこだまするのは、畳にすり付けた私の頭の上からあなたが浴びせかけた言葉です。

「あなたとは縁を切りたい!もうかまわないで!」

 

くやしかった、腹立たしかった、

いったいこの人は何を考えて金切り声をあげているのだろう、自らの幸せの為なのに。それを拒否することで将来周りの家族に大きな負担をかけることになるかもしれない一大事なのに。

 

あなたはずるい。肝心なときは縁を切りたいと思いのままに叫び、いまや何事もなかったように、あなたの居住地界隈でコピーをとるのにどうしたらよいか、夜中にはるか遠く住む私に平気で電話をしてくるのだ。

あなたは、こんな風に言うと相手にどう伝わるかな、聞いた人はどう受け取るかな、と電話をする前にまず深呼吸をして心落ち着けることはありますか?

ないのでしょう? 思いのままにダイヤルを回し、頭の中で沸騰状態にあることを吐き出すのでしょう?

あなたは、自らの感情を理性で抑える術をもっていますか?

 

何度もあなたには伝えました。ストレスは脳力の敵です。脳に過大なストレスがかかることで認知力がさらに衰える、こともあるのです。
脳にいかにストレスをかけず、日々過ごしてゆくか。どのようにわき上がった感情を抑えるか/逃がすか。それが年齢問わず大きな課題となっている今の世の中です。とくに高齢者は気をつけねばならないのです。

 

最後におたずねします。

陰口、悪口、噂話のたぐいでなく、こんなおもしろい話がある、こういうことをしてみたいがどうだろうか、など明るく、前向きな話題を私とこれから話すよう心がける事はできますか?

相対しても、陰口、悪口、噂話のたぐいばかりでは、足も遠のきます。たとえそれがごく近い家族でも、です。だって、人間ですから。楽しくない話ばかりをする人の周りに人が集まった例はありません。

そして、外部のサービスの援助を有効活用しながら今まで行ってこなかった健康回復に努める気持ちがありますか?

それとも、あれこれ言われたくない、縁を切りたいですか? 私は覚悟はできています。
あなたには選択肢が2つ、私には一つの選択肢しかありません。あなたが変わらぬ限り、何も変わらない、それどころか悪化するのみです。

 

動画(クローズアップ現代)を先ほど見せました。女性にしろ男性にしろ介護を担う者の数が減り続けていたグラフを覚えていますか?

すでに、今や、介護はその道のプロがともに行うのです。あるいは、プロの援助の元に行うのです。プロは私ごときとはひと味もふた味も違います。

今年介護保険の面接を自宅で受けたとき、あなたは骨折したのは右腕だと言いました。私はすぐさまその間違いを指摘しました。あのとき、面接員がどうしたか、あなたは覚
えてはいないでしょう。

面接員は、書類に目を落としながら、あれっ、こちらの記録も右となっていますね・・・私たちの記録も間違っていたようです、ご指摘ありがとうございます。と言ったのです。

あなたの間違いを間違いとしてあえて指摘はせず、あなたを思いやったのです。あなたの対面を取り繕ったのです。そして、私への配慮も付け加えた。私は内心、彼女の振る舞いに驚いていました。

 

あんたは息子なんだから、残りの人生、私の手となり足となりなさい、死ぬまで母に尽くしなさい、あなたは私の下部です。と言いますか? いま多くの者が介護疲れである者は鬱になり、ある者は自殺に追い込まれ、ある者は親を虐待し、あるものは親を殺し、そしてある者は縁を切る。そんなギレギレの狭間にあなたは私を呼び込みますか?

人にああしろこうしろ、の前に、あなたは何をしましたか、いや何をしますか?

夜中思いを何度も巡らせてももらちはあかないのです。夜は、取り留めもなく感情的な思いが募ってしまうものです。冷静に、色々な角度からすべき作業・考え事は、明るい昼間にすることをお勧めします。

 

自ら助かろうと、助けようと差しのばされた手をつかむ者を神は助ける・・・その差しのばされた手をあなたはどうしますか?