それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

十八番

毎週日曜日はご機嫌伺いの電話をする日、母の"ガス抜き"のために設定しています。

何かに悩み、それが思い余り、時間お構いなしに私や妹に電話をかける、そして同じような話が繰り返される。

こちら側の日常生活にも影響が出るため、その打開策になればと数週間前から試験的に始めたものです。

 

「毎週日曜日は昼過ぎに電話するよ」

と例の冷蔵庫横のホワイトボードに書き置いてはありますが、どうやら最近はホワイトボード自体に新鮮味がなくあり、母の目には入っていないように思えます。

 

9/29土曜日夕刻、就寝中、私宛に妹からメール連絡↓

 

母から電話があった。真坂家の跡取りがいない。親戚の子供を養子にもらったらどうか。本当似に電話しても居留守を使われている。一体、真坂家の墓を誰が面倒見るのか、本当似の後が心配、等と訴えていた。前回どんな暴言・狂言の類を吐いていたかは全く忘れている様子。いずれそちらへも電話がいくはず。

 

確かに同夕刻、母からも2件留守電に記録が残っていた。内容は妹宛のものと同じはずなので内容確認せず。

 

9/30日曜日午前中も、私宛に母から2度。ここまで粘着されると、ストーカーと大して変わらない。

私の未熟さ故か、あるいは、修行が足りないのか、平常心、とはいかず、週慣ご機嫌伺いを昼過ぎに挙行するにあたり、ストレス発散のため5Kmほどジョギング。精神的体勢を整えた上、母に電話を入れた。

 

「今週は、何か面白い話題はありましたか」

といつものように話を振ったところ、以外にも母は上機嫌だった。

 

通所サービスで通っている”脳活教室”が、いろいろな人と話が出来て楽しい、万歩計もその後問題なく使い続け、記録もきちんとつけているという。

 

自らそんな話をする母の声を受話器の向こうに聞きながら、私は少々唖然とさえしていた。

夕べ~本日午前中までの”ストーカー行為”は一体どこへ消えてしまったのか。これも記憶の欠落なのか、等と思いを巡らせながら、いや、精神的に健やかなことは結構なこと、私の方もそういう話なら、それに勝るものはないので、いいね、いいね、と相づちを打ち、さらっとご機嫌伺い終了となる。

 

これでめでたく終わらないところが、やはり母なのだろう。

電話を切って2分もたたないうちに電話がかかる。

 

「さっき電話したばかりでしょ、どうした?」

と折り返すと、先ほどとは違い、さほど落ち込んでいる、という風でもなかったが、若干声色を落とし母が話し出す。

 

「いや、跡継ぎのことなんだけど・・・」

 

思い出したんですね、残念。そして、例のごとく、養子のヨの字がでた時点で即座に私は言い返した、

 

「前にも言ったように、あなたは養子をもらう、と軽々しく言うが一体どのくらい真剣にその子の幸せを考えました?子どもをもののように言うこと自体が、私は理性的に全く受け入れがたい。もう二度とその話は止めてくれないかな。」

 

「でも跡継ぎは・・・」

 

「繰り返すが、真坂家は宮家でもなければ歌舞伎役者、伝統芸能を代々継ぐ家柄でもないよ。継ぐ継ぐと言うが一体なにを継ぐのかな。家名が云々という考えは全くもって私にはないんだよ」

 

「でも、お墓はどうするんだい?」

 

「お墓お墓と言うが、あれは現世を生きるものが勝手にあの石がいい、この石がいいと煩悩のままに建てたもの、江戸時代なら辺りの石をおいて終わりでしょう。実際、お墓にお参りしているのは私で、母さんはもう行けないじゃないか。行けなくても、行けない人も、仏壇を拝んでその代わりとしているのでしょう?それで十分でしょう?」

 

「こんな話をする度に、あの歌を母さんに歌って聞かせてるんだけど忘れたのかな。」

 

♪わたしのお墓の前で泣かないでください。そこにわたしにはいません。眠ってなんかいません♪

 

f:id:masakahontoni:20181003100935j:plain「でも、あなたが生きている間はそれでいいのかもしれないけど、その後は・・・」

 

「母さんが心配することではないでしょ。一般的に見て、普通なら、母さんよりわたしの方が長く生きるわけで、そんな何十年も先のことで気を病むより、自らの明日の健康をどうするか考えてほしいんだよね。」

 

「でも、お墓がそれでは・・・」

 

「もう一回歌おうか?」

 

♪わたしのお墓の前で泣かないでください。そこにわたしにはいません。眠ってなんかいません。千の風に・・・♪

 

f:id:masakahontoni:20181003095451j:plain

受話器の向こうで母がハハッと笑うのが聞こえる・・・

 

「それじゃぁ、後のことは任せていいんだね」

 

「そうだよ、明日私が交通事故で突然死でもしない限り、今後何十年私はこの世にいるわけで、その先のことは私に任せておけばいいんだよ」

 

「わかりました、では任せます」

 

「ところで、栄養ドリンクはまだあるのかな?」

 

「どうだったかな」

 

「今度の水曜日に届くよう手配しておくから」

 

「あれを飲むのが楽しみなんだよね」

 

「それはよかった」

 

「やわらか弁当はどうだった?」

 

「まだ食べてない。ご飯がまだあるので」

 

「あの弁当はおかずだけだよ。ご飯は自分で用意して、おかずとして食事の度にチンして食べてほしいんだよ」

 

「あぁ、そうなの。」

 

そんな会話で日曜日の会話を終えた。ただ、

 

『ではあなたに任せます』

と母が私に発言したのは、このときが初めてだった。それだけ、母が精神的に落ち着いていた(いつになく)、ということかもしれない。

 

私が、自らの死生観なり、宗教観から結婚観に至るまで母と話すことは、過去無かったし、未来にも絶対に無い、そしてそれはごく個人的なことだと思っている。

母との会話は、全てがいかにして母の精神状態が健やかでいられるかを唯一の目的としたもの。なぜなら、母は精神的健やかなである時が、一番「通常の状態」でいられるのだから。