以前から問題視していた冷凍室。生協で購入した冷凍食品が堆く積もり上がり、閉めるのにもコツのいる冷凍室。
今回のぞいたところ、空気が漏れ入っているのだろう、そこは表面に霜がびっしりと一面の銀世界。
過去一・二度、冷蔵室含め、賞味期限切れの物をいったん整理、残るストック品のリストを走り書きしたものを母に渡しおいた、あの冷凍室。
「お得だからと、必要以上の容量の物を買っても、結局捨てるのでは、逆に損。単身者用に見合った容量の物にした方が、最終的にお得だよ。」
「コロッケ、唐揚げ、ハンバーグのたぐいが2点も3点も入ってる。ぎゅうぎゅう詰めで、過去何を買ったのか分からず、重ねて注文してる。こんなにいらないでしょ?」
と言い続け数ヶ月、
本人も、
「本当だねぇ」
とその時々は納得したように見えたけど。
その後、奥歯がぐらつき、固形物(固まり)を噛み砕くのが不自由となったこともあり、あのときの”山”は、まったく崩されることもなくそのままの状態、いや、むしろ、何か買い足したのか、さらに、数ミリ?高くなっている気さえする。
「奥歯で噛み砕くには難しいもの多く使いきれないと思う、全部私が引き取るよ」
と提案しても、ここまでなかなか首を縦に振らない。
「いいよ、少しづつ処理するから」
の、繰り返し。
これでは時たまTV放送されるゴミ屋敷状態とほぼ変わらない。
そう、実家の冷凍室はプチゴミ屋敷。
その一方で、食欲がわかない、と相変わらずご飯(米)中心の食生活を続ける母。母にとって、食事とはまず米、なのだ。
「缶詰で栄養は補っているから」
と言うが、食欲わかない、何かおいしいものと、口癖のように繰り返す母が、缶詰を度ごと食べる気になっているとは信じ難い。
「以前試してもらって、柔らかすぎて嫌だ、と言っていたあの、やわらか弁当、また試してみる?丁度いい機会じゃない?」
「そうだね。」
と、意外と受け入れそうな雰囲気と思いきや、
「やわらか弁当ってどんなもんだったかねぇ」
単に、以前の体験が残っていないからだけなのかもしれない。
それにしても、今のままでは、新たな冷凍食品を入れる場所もない。
結局、冷凍室の中にある物をどうにかしない限り先には進めない。そして堂々巡りの会話がまた始まるのだ。
その晩、ネットからクール便集荷を予約、翌日午後、隙をついて冷凍室の中身全て段ボールに詰め込み自宅宛発送を断行。
不思議なことに、冷凍庫の中身が全て処理されたこと自体に対する反発は無かったが、
自宅へ送ったので後はこちらで処理する、という私に
「自宅へ全部送ったなんて・・・それを食べて腹でもこわしたら」
とまさかの心配。
それなら放っておくなよ、と言いそうになるところを耐える。
もったいないが、私には”合わない”ものばかりなので、一気にその場で全部捨てたい、というのが正直な思いだが、それを母の目の前で行うわけにもいかない、修羅場になるのは目に見えている。
煙幕張るため、とりあえず私の方へ送ってから、(多分)廃棄、というのを目論んでの今回の作戦。
母には、なぜ”処理”なのか、なぜ”送る”のか理解出来ないようだが、一時我慢すれば、そんな話題も過去のことになってしまうかも、という部分に期待したい。