それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

歳月


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今回は、母さんが搬送時に家から持ち込んだ長座布団や掛け布団が邪魔になっているようなので持ち帰るからね。

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2年程前の骨折時、転院・退院で身の回りのものを運び出すために購入した大袋。それがまた使うことになるとは予想だにしなかった。

あの半纏(はんてん)、あのオーバーを持って来いと、入院中にあれこれと身の回りの物が増え、一度で運べるようかなり大きな荷物袋を買った。

 

今回もよくもまあ、長座布団だ、掛け布団だ、毛布だと、脛骨、腓骨両方折りながら救急車に積み込んだものだ。関係者はさぞかし驚いたことだろう。

あの大袋がパンパンに膨らんだ。

最寄り駅まで なんとかバスで移動したが、そこからはタクシーにした。この荷物を引きずり停留所から家の門まで歩く気にはとてもなれなかった。

 

玄関に荷物を下ろし、ポストの郵便物を確かめる。

一通目は、老人会開催のお知らせ。✖️日までに出欠を組長宛に知らせるように、とある。✖️日はもう過ぎている。組長の連絡先もない。母ならツーカーでわかるのだろう、私には皆目検討つかない。スルーするしかない。

もう一つはゆうちょからの定期連絡。「そのゆうちょのキャッシュカードがないんだよねぇ〜」と呟きながら家に上がる。
大袋の中身を取り出し応接のソファーの上に。居間に移動し、未チェック箇所を確かめる・・・やはりそれらしきものは、一枚もない。

壁掛けに差してある郵便物を再度確認。今回は封書の類も念のためチェックしたが、それらしきものはなかった。

 

f:id:masakahontoni:20190306133640j:plainただ、そのなかにFさんからの封書があった。

”あの人は私を頼りにしているらしくて度々電話してくるのよねぇ”と何度となく母から聞いていた、あのFさんだ。

母の言い方はいつも上から目線だった。

頼りにされているので私は付き合ってあげてる、的な言い様が、私には好かなかった。聞かされるたび、またその話かと この人変わらないなと毎度毎度気分が下がった。

果たして母の本心はどうだったのだろう、口では言いたい放題だが心は・・・という可能性もあるのだろうか? その可能性を打ち消すことができずにはいた。ただ、どうやら、母の本心、本当の感情を具体的な言葉で知る機会はなさそうだ。

 

その手紙は、

あなたがプールに見えなくなってもう一年になりますね。

という言葉で始まっていた。

ということは2年半程前のものだ。近隣にあった福祉施設のプールで高齢者対象の”歩行”教室があり、3年前ぐらいまで週2の頻度で母はそこに通っていた。そこで同年代の知り合い(敢えて”友達”とは表記しない)が数人でき、プール帰りに施設内にある喫茶室でお茶をしながら世間話するが、母の楽しみでもあった。(ように見えた)

私も真坂さんのこと気にはしているのですが、耳が遠くなり電話の声がよく聞き取れない時があるので失礼しています。

私も老化が進みよぼよぼになってしまいました。それでも運動だと思って帰りは歩いて帰るようにしています。それに家にこもっていると心も落ち込んでしまうので。

耳が遠くなり一人でプールの中を歩いているのですが、皆さんが話しかけてくれます。

この間、思い切ってOさんに電話してみました。お元気のような声でした。やはり膝が痛いと言っていました。八十△歳になったとか。敬老会で△円もらったそうです。

真坂さんも早く良くなってプールに来られるといいですね。

電話がこわいので手紙で失礼します。

お元気で

この手紙を見て、”可能性を打ち消す”ことはこの先もしないでおこう、と思った。

 

歳をとる、歳を重ねる、とはいったいどういうことなのだろう。手紙にしたためられたことは、多分、多くの高齢者に共通していることなのかもしれない。

話す場、人に会う場がない、話したくても、会いたくても、気が引けてしまう事情がある、その”デリケートなところ”に手が届くような社会にでもならない限り、孤立し、ひきこもる・・・外の世界から分断され、家という隔絶した空間に一人・・・そんな気がする。

電話する、人と会う、デイサービスに行く、買い物に行く、何かしら動く、動こうとする、そんな人達とは対照的に、何もしない(したいとは思っているが動かない、動けない)人が途方もなくたくさんいるのかもしれない。

 

この手紙をもらい、母はFさんにどう対処したのだろう。

寂しいという近況を知らせてきたFさんにどう応えたのだろう。心配し何かしら寄り添おうとしたのだろうか? それを知る術はもはやない。

 

自分の人生を決めるのは自分だ。不幸にしてそれがままならない場合も少なからずあるだろう。でも母にはそれができる時間的猶予がたっぷりあった、とこれまで思ってきた。

母にとって老後とはどのようなものだったのだろう。今母が被ることになった一連の出来事は、不幸にしてままならず起こってしまったことなのだろうか? 起こるべくして起きていることなのだろうか。私には断言できない。


金銭管理はしっかりしている風に見えた母。父とともに一軒家を建てたのだから大したものだ。父の死後、やれ生前~だ、〜贈与信託がどうしたなど どこかで見聞きした事に触発されたと思われる話を何度か聞かされた。

ただそういったことが実行されたことはなかった、いや、それ以前に私もそういった話題には無頓着であった。父さんと母さんが稼いだ金は母さんが自由にしたらいい、と一方的に応えるのが常でそれらについて母と細部にわたり話したことはなかった。

あの時、もっと突っ込んで話しておけば今頃どうだったろう、とも思う。少なくともキャッシュカードがどこにあり、どの印鑑がどの通帳のもので、それらをどこに保管しておくのか、ぐらいは。

そうしていたら、いまここで慌てることもなかったのだ。

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