それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

冷凍庫と母 (回顧録)

一瞬、あっけにとられ、どうしようかと戸惑った。

 

田舎の冬は寒い。

都会暮らしにすっかり染まりきった私には、たとえそこが幼少期から物心つくまで生活していたはずの木造建屋の畳敷きの空間であっても、たかだか数週間、毎週帰省したぐらいでそう簡単になじむことはできなかった。

f:id:masakahontoni:20180908203150p:plain来客用の布団を奥から引き出して寝床などこしらえる気にもなれず、これまでそこに母が座っていたであろう”こたつ”に胸まで入り込み、エアコンをつけ、更にガスストーブまで断続的につけて、暖をとる。

それでも、都会の集合住宅暮らしに慣れきった身体には、畳を通して床下から冷気が立ち上るような底冷えのする田舎の冬が想像以上に堪え、まんじりとすることもできない。

 

2016年、師走の声も聞こえようかという頃、骨折した母が救急病院に運ばれた。

 

そこからほぼ毎週、母を見舞った。そして、あっという間に晦日が迫り、見舞いは勿論、せめて実家にある神棚・仏壇ぐらいは綺麗にしておかないとまずいでしょうと、正月明けまで実家に連泊することにしたのだ。

連泊ともなると、コンビニのコーヒーと軽食にもさすがに飽きてきて、「そうだ、母が備蓄しているという冷凍食品でも」と思い立った。

そう、時としてかける電話の向こう側で母はいつも口にしていた。

 

「ああ、ちゃんと食べてるよ。生協が色々な冷凍品を届けてくれるから」「唐揚げも、挽肉も、何でもあるんだよ。」

 

台所にある冷蔵庫の中段、冷凍庫を開ける。

姿を現したのは、うずたかく積もった冷凍食品の山だった。

よくもまぁここまで詰め込んだものだ、一旦引き出したら二度と閉まらないのではないかと心配になるほどだ。

 

すっかり日も暮れ、し〜んとした田舎の冬、それもまもなく晦日を迎えようかという夕刻、こそ泥が人知れず忍び込んだ母屋でたんすを物色するが如く、冷凍庫の中身を確かめる。

 

f:id:masakahontoni:20180908201224p:plainなんということでしょう・・・

冷凍コロッケの袋が次々と。

冷凍挽肉の袋が次々と。

冷凍唐揚げの袋が次々と。

確かに、これだけ詰め込んでいると、何が購入済みで何を新たに買わねばならぬか、そりゃわかりませんわな。

 

いや、でも、そればかりではありません。

次々と賞味期限切れのものが・・・。

 

母が既にMCI(軽度認知症障害)の状態にあるのではと疑りはじめたのは、この年の後半からでしたが、果たしてこのこととそれとの間に因果関係があるのかはわかりません。

f:id:masakahontoni:20180908202117p:plain冷凍庫がいっぱいで何があるのかわからない、という話しは高齢者に限らずよく聞く話なので。

 

取りあえず、賞味期限のものを全て廃棄、個人的に気に入らない(=こんなの食べていたらよくないなと思う)コロッケなどは数量を絞ったうえ余分なものを廃棄した。

 

あれからもう1年半以上経ち、母は奥歯がぐらつくからと固形物、それもかみ砕く必要のある食材を口にしなくなった。その影響が無い、とは言えないが、あの冷蔵庫の冷凍庫は、

 

今でも満杯のままだ。