前回の週”慣”ご機嫌伺いの電話で、初めて母が通所サービスに自ら出かけた/出席したと聞き、大げさに驚く私に電話の向こうで、
「そうかね」
とまんざらでもない口調で応えていた母。
今回帰省時、その話になり、
「いやぁ、母さんがいよいよ自らやる気になったかと、電話で話を聞いて手をたたいて喜こんだんだよ。」
「いや、わかってる、そんな感じがした。」
<あら、伝わってたんだ、それはよかった!>
「で、どうなの、最近のは。行ったの?」
「おなかの調子が悪くて、行かなかったんだよ。それが、かかりつけのH医院で薬をもらって帰ってきたところへ、役場から来た、という人が訪ねてきて、一体何かと聞いたら、今日の教室に来られないのかと思い、一緒に行けたらと様子を見に来た、って言うんだよ。でもおなかの具合が悪いからと断ったんだよ。」
「心配して迎えに来てくれたんだ、すごいね。まぁ、今回はしょうがないとして、今度の火曜日もあるんでしょ。実は私もどんなことをそこでやるのか、とても興味あるんだよ。ぜひ、どんなことを話したのか、今度電話するときに、おもしろい体験談でも聞かせてよ。」
「おもしろいかどうかはあれだけど。あの教室も、なぜか、私のことが気になるのか、私のところへ担当の人が来て話しかけるんだよ。」
「全く気にもされず、無視されるよりいいじゃない。物事はいい方に考えないとね。」
「そうかね。」
「それに皆似たような年代層の人で話も合うでしょ?家に閉じこもりじゃ、身体も頭もなまっちゃうよ。それ、年齢に関係ないからね。高校生だって、閉じこもりじゃ、身体も頭も使わずなまっちゃうよ。」
「そりゃ、そうだ。」
今更ながら、母は誉められて喜ぶタイプ・・・ん?あたりまえ?誰でもそう?
そう、喜ぶだけでなく、伸びてくれるか否かが問題?でも、”喜ぶ”と”伸びる”の間には無視できない位の坂道が母にはどうやらあるのだ。
それでも、
・また、その話か
・さっき、言ったじゃない
・何度言わせるんだよ
なんて言われ続けるよりは、誉められた方が、本人の気分が健やかであることだけは事実だ。
そして、いかにその「すこやかな状態」を長持ちさせるかも、母にとっては一つの大きなファクターなのだ。
つまりその時点時点で、母の持つ能力を最大限発揮する大前提は、精神的に「すこやかであること」なのだ。
さぁ、母は今度の火曜日(明日)、行くのでしょうか?
Yes or No、どっち?