お彼岸には、土曜日に帰省、月曜日まで実家に滞在した。そして火曜日には例の包括さんとの約束がある。
火曜日と言えば、母にとっては「決戦は火曜日」の日だ。脳活教室に通う(といってもまだ1回だけだが)母に、初めて渡されているというパンフレットを見せてもらった。
なるほど、
✔クロスワードパズル(熟語、計算等々)
✔一言日記
✔歩数管理
✔身体測定結果とその見方アドバイス
他、盛りだくさんだ。
母にとっては、あの件どこに書いてあったかな、状態で、度ごと全てのページをめくらねばならない、というのも一つの脳活ならいいのに、とふと思う。
借りた万歩計を返したという母。以前もらった小さいのがあるからそれを使おうと思ったから、と言う。
試しに私と母でもらったという万歩計を室内で試したが、母だとカウントされないことが多々あること判明。やはり、母のような高齢者にはもう少しセンサーが敏感に反応するものでなければ無理なのでしょう。
「母さん、もらい物のこれじゃぁ、役に立たないよ」
と、母の話から、脳活教室で借りたものに外見上近い歩数計を急遽そろえた。色々ボタンがついていたところで使うはずもないのでタニタのFB-731なる表示の大きい3Dセンサータイプのものだ。
「せっかく万歩計買ったのだから、早速始めなきゃいけないね」
「そうだね」
「それじゃぁ、一言日記に明日から頑張るぞ、とか好きな言葉を入れておいたら」
「そうだね」
と明日の日付をその箇所に書き込み、続けて一言を綴る。
「で、記録はどうやってこのグラフに書き込むのかねぇ」
「そういえば、母さん、さっきめくっていたページに、書き込み例があったじゃない」
「そうだっけ?」
それは、10分もたたぬ前、
「こんなものが知らぬ間にページに入ってたんだよ。油断も隙もないねぇ。こうやって書け、って言うわけなんだろうね」
と自ら言っていたものだ。
勿論、全く同じ会話がその後何度かあったことはいつも通りだが、
翌日になって、一つだけ違ったことを母は言った。
「この日付、誰が書いたのかね。知らない間に入ってるよ。」
一体、この電車の行き着くところはどこなのか、
いや、この線路はどこまでつづいているのか、
もしかすると、同じところを回っているだけなのか、
私にはわからない。
乗り物酔いになり、途中下車しても、
気分が戻れば、結局また乗り込む、
それを繰り返す。
旅の行く先は知らされていない。
誰も知らないのかもしれない。
この電車を止める術はあるのか、
いや、線路の行き着く先を知る術はあるのか、
誰も教えてはくれない。
少なくとも、
電車が動く限りは、
そこに線路がある限りは、
ただただ電車は動き続けるのだ
ただただそれに乗り合うことになるのだ。
母は、例え内容が切実なものであっても、心落ち着くことがない。
その眼球は、部屋を飛び回る小さな虫を追いかけたかと思えば、
小脇にある数枚の千円冊を手に取り指に唾付け枚数数え、
おもむろに、先ほど出した国語辞典をどこへしまったかと、
その場を離れようとさえする。
そこでやっと気がついた。
Aのことを考える
ふと、Bのことが気になる
Bのことを考える
ふと、Cのことが気になる
Cのことを考える
あれっ、Aってなんだっけな
となる
Aが思い出せなくなり悩み焦る
やっとAのことを思い出す
ふと、Dのことが気になる
朝から晩まで、母はこれを繰り返すのだ。
CPUでも、能力以上の負荷がかかればオーバーヒートする。
午後目に見えて母から活力がなくなる理由の一つ、
それはこれもあるのかなと。