毎週日曜日は、週"慣”ご機嫌伺いの日です。母のストレス発散/ガス抜きの足しになればと毎週日曜日に電話連絡をしています。
実を言うと、先週の私は押し寄せる?ストレスを回避できず、少々疲弊しておりました。
やれ瞑想とは、とブログに書き込みながら、何とも情けない話しです。ジョギングをしようが、スーパー銭湯へ行こうが、何をしようがなかなか気持ちが晴れません。
というのも、あの方からの圧が強くて。一旦消し去っても、またよみがえってくるのです。
例によって例の如く、ではあれ、夕刻時間かまわず電話をかけられ(一応対策として一旦留守録に入るのですが、それでもいずれは内容を聞くことになるので)、定年なのに何をしているのか、云々と、か細い声で長々と。
あなたは、もう私の年齢もわからなくなってしまったのか?いや、それよりも、その話もう何度も会話を交わし納得していたはずのこと。私現役なんですけど。
はずのこと、といってもそれは私の意識で、母にはどんなことを過去話したか、の記憶がない、のは理屈としてはわかっているつもりなのですが。
一人でくよくよ悩んでいても何も解決しない、何も変わらない、とは私が母に言う常套句。何のことはない、気がつかぬうちに、私もその底なし沼にはまりかけるところでした。
もしかすると、感情爆発させてしまうかも、と思いながら この日は週”慣”お伺い電話に臨みました。
「どう?今週はおもしろい話はある?」
「特にないね」
「ないね、じゃなくて、話題作りは外へ出ないとだめだよ。今週は例の集いに行ったの?」
「ああ、行ったよ。 それが、脳活教室でもらったテキスト3冊の内 2冊がなくなったんだよ。誰かに盗られたのかもしれない。教室で同じものがあったのでそれを使ったけど、貸し出し用なので返すよう言われて。私の名前の入ったテキストが手元にないので、万歩計で計測したものを記入することができないんだよ。」
「無いなら無いで仕様が無いでしょ。あれこれ悩まず、今度行ったときに事情を説明して新しいのをもらったら?」
「そうかねぇ、でも、せっかく、これまで記録につけてグラフも綺麗に書いたのに。万歩計があるのに、何も記録できないよ。」
「いくら悩んだところでテキストが天から降ってくるわけでなし、書き込むものがないならメモ書きにして、今度の火曜日行くときにそれと一緒に事情を話したらいい。とにかく、もう日が暮れてから悩み続けるのは終了だ。」
「わかったよ。ところで、相談だけど、教室で知り合った人に、ミシン売ってくれないかと言われたんだよ。ミシンはもう使わないし、引き取ってくれてお金ももらえるならいいかな、と思うんだけど。でも、あまり何処の誰ともわからない人とそんなことで親密にもなりたくないし。」
「心配なら、無理して話を進める必要ないでしょ。それで、ああでもないこうでもないと悩まず、処分はいつでもできるから、敢えてその人に預かってもらう必要はないよ。」
「そうかねぇ。最近、切手を売ってくれ、とかいう話しも他からあるんだけど・・・」
「それ絶対に話に乗ったらだめだよ。切手、貴金属を買いたい、というのは有名な押しかけ詐欺。そういう物は持ち合わせていない、と即座に断ること。」
「そうなんだ。まあ、おまえに聞いてみる、と言ってその場は断ったんだけどね。」
「この頃思うんだけどね、私は人から見ると何か問題でも起こしそうに見えるのかねぇ。例の教室もちゃんと行っているか包括さんが確かめるんだよ。近所には私と同じような年寄りがいるのに、私だけそうなんだよね。」
「包括さんはお上から資格を取った上で、担当地区の独り暮らしの高齢者を見守っている人だよ。その口添えで母さんは教室に参加する契約をしたのだから、気遣ってくれるのは自然なことでしょう。ご近所の方と違うと言っても、そもそも事情が違うのだから、あたりまえの話しだよ。」
「歳をとって、特に最近は老いが進んだような気がするんだよ。だから、周りの人が、この人何か問題でも起こすんじゃないか、火の不始末でも起こすのではないかと、見られてるのかな、と思って。」
「一般的な話しをすれば、真面目すぎる人、一つのことに固執しいつまでも悩み続ける人、ストレスの多い人、の方が、歳をとって老いが進んでしまう人が多いとは思うね。母さんは、性格的にぴったりそのまま該当してるよ。多少ぽけーっとしてる人、楽天的な人、ストレスをためない社交的な人の方が、歳とっても元気だし、精神的にも楽、と思うね。だから、いつも言うんだよ、日が暮れてから悩み続けるのはだめだと。」
「健康面でも、人より丈夫だ、医者いらずだ、大丈夫だと言って何も検査しない母さんのような人が、実は危ないんだよ。母さんは過度に検査を嫌がるが、健康な人が健康だからこそ行うのが検査だよ。病人がするのはもやは検査ではなく治療。
今は早期発見でほとんどの病気は処置できる時代だよ。胃カメラにしろ大腸内視鏡にしろ、都会の主立った病院は検査希望のお年寄りが押し寄せ向こう3ヶ月先まで予約いっぱいだよ。みんな抵抗なく検査を積極的に受ける時代だよ。」
「誰だって歳をとるし、200年も300年も生きるわけじゃない。今時の高齢者は、意識のはっきりしている内に、施設を自ら選んで入所する人が増えてるんだよ。」
「へぇ〜そうかねぇ。そういえば、ご近所のXXさんも自ら施設に入ったというのを聞いたことがある。その後亡くなったみたいだけど。私達の時代は、最後の時まで家にいたけどねぇ。」
「それは、兄妹も家族もたくさん一つ屋根の下に住んでいた時代でしょう?今は核家族、子どももいない世帯、そして独り暮らしの高齢者が多い時代だよ。」
「そうだねぇ。」
「そして、母さんのように、何もせず、検査も受けず、引き籠もり、そして いざとなったらどうするのかも自ら決めない、ただただ悩むだけのお年寄りは、珍しいよ。いくら悩んでも何も解決しないし、その悩むこと、ストレスをためること自体が健康にとても悪いんだよ。」
「一つ一つのことを順番にするようにしないと。何かをやっている最中に、他のことが気になって・・・なんてことをしていると、捜し物が多くなるよ。一つ一つ終わらせるようにしないと、ちょっと置いたものが、あとで何処に置いたかわからなくなる。」
「そう、そう、そうなんだよ。」
「それを、日が暮れても探し続けたり、他の悩みを夜になるとまた悩み出したり。そのたびに俺に電話をかけられても困るんだよね。」
「わかった。でも、夜は静かで色々考えるにはいいんだよね。」
「いや、夜は寝るためにあるんだよ。夜に考え事やめてよ。ぐっすり寝てよ。それに、胃液が逆流してくるのはどうなった? K医院からは薬もらってるんでしょ。食ってすぐごろごろしない。特に夜は寝る時間の3時間前ぐらいに夕飯を済ませるよう、逆算する。横になるときは、多少頭の方が高くなるよう、ザプトンなど挟んで工夫する。前に手紙に書いたけど。食事はちゃんととれてるの?奥歯のぐらぐらはどう?」
「ああ。でも、逆流はあるね。あれは治らないらしいね。ついに三日前にも胃液があがってきた。トイレでつばを出したら、ちょっとだけ血が混じってた。それに、食欲があまりないんだよ。一食分作るのも面倒だしね。奥歯の具合は相変わらずだね。その周りの歯茎が痛いから工夫しながら歯磨きしてるよ。」
「で、"やわらか弁当"は試してみた?あれはおかずだけだから、やわらかすぎるかどうか試してみてよ。それと、七日の内六日引きこもりでは気も晴れないし、腹も減らないと思うよ。どう?いまの教室の他にも通ってみたら。」
「そうだねぇ、他にも体操教室みたいのがあるらしいと聞いたことはあるけど。」
「通ってる教室の担当者でも、うちの担当の包括さんでも相談してみたらいいよ。向こうは何百人というお年寄りを相手にしてきた専門家だから、色々知識もあると思うよ。」
「そうだね。でも、色々話をしたら気分が楽になったよ。」
「それはよかった、くどいようだけど夜悩むの止めて早く寝てよ。こちらからまた電話するから、夜中に変な電話かけてこないでよ。」
「大丈夫だよ」
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本当に大丈夫かは大いに疑問だが、
かれこれ40~50分ほどの長電話になってしまった。やはり徐々にではあれ母の症状は進行していると思う。
物忘れ(記憶の欠落)は「現状維持」といったところだが、何かが見つからないとき原因を外に求める、というのは心配な部分とも言える。ただ、ややこしいのは、そもそもそういう性格がずっと昔からあった、ということ。それでも、それが一番恐れる「もの盗られ騒ぎ」に拡大してしまうという悪夢だけは見たくない。単なる思い過ごしであれば、と思う。
現在利用している通所サービスの頻度を増やすことに、抵抗を示さなかったのは前向きな反応。それが少しでも母のストレス発散になれば、素晴らしいのだが。
そして、世間話という形ではあれ、施設の話を初めてすることはした。ただ、それが本人のこととなると多分その気はないのだろう。
今回しばらく口にしたことのなかった「最近更に老いた気がする」ともらし、今回初めて「周りに問題あるように見られてるのかもしれない」と言った。それが、母なりに今感じている”不安”を表現したものなのだろう。
後ろ向きかげんの話だけでは気が滅入るので、まずは今月、毎週火曜日の教室通いは2戦2勝、これは前向きな傾向だ。
包括さんには、母との会話について詳細報告のメールを入れた。できれば通所サービスの頻度を増やしたいと、一言添えた。