包括さんとの初めての面談(というほど仰々しいものでも無かったが)を終え、取りあえず一息。
帰省後ここまでの母が言うところの「昨日の騒動」は大凡このような↓
-土曜日夕方、咳き込んだところティッシュに吐き出した痰に血が混じっていた。
-気分も優れず、かかりつけのK医院に往診を頼んだ。
-気がつくと、K先生が後ろに立っていた。
-状況を見て、K先生が救急車を呼んだ。
-K先生は用事があるので後ほど、と言われ、一人で救急車に乗り込み救急病院へ向かった。車中誰かが一緒にいた気がするが、それが誰かはわからない。
-救急病院につくと、早速"そこに立って"と言われ、シュッシュッと喉に麻酔薬を吹き付けられ、胃カメラの太い管を喉に挿入された。傍らで、"ハイいいよ〜、そうそうよくできてるよ〜"と誰かが背中をさすってくれたが、それが誰かはわからない。
-薬を処方され、K先生宛の手紙と共に、返された。病名も教えてもらえなかった。
-どうやって帰ってきたのか、タクシーなのか、誰かの自家用車だったのかは覚えていないが、早朝3時頃家に帰ってきた。
顛末だという。
全体の流れとしてはそうなのかもしれないが、物忘れの激しい母のこと、全ての話しがその通りなのかはわからない。
救急病院で処方されたという錠剤から、検索してみると「胃液の生成を抑制する消化器溶剤」だった。
医師でない私が言うのも気が引けるが、どうやら逆流性食道炎ではないかと推察。
骨折入院前から時として胃のむかつきがあり、そもそもK医院での胃カメラ検査を受ける予定だった。
骨折でそれが延期となったのは止む無しとしても、その後これまで検査をしてこなかったことに「検査を受けていればどうだったのだろう」と思わないでもない。
それにしても、元々感情のコントロールがうまくできない部分は、高齢になる前からあったように思う母ではありますが、それに加え、判断力、認知力、記憶力の衰えなど負の条件が幾重にも重なってしまった部分はあるのだろう。
このような母がどうしたら心穏やかに生活することができるのか、大きな課題だ。
時計は巻き戻せないので、それは胸の奥にしまい込み、時としてこれからも不安になるであろう母を落ち着かせるよう、
- 多分逆流性食道炎ではないか。落ち着いたらお礼かたがたK医院へ行った方がいい
- なぜ、逆流性食道炎になるのか、気をつけることは何か
等について、関連サイトを参考に母に伝えた。
その場では母も納得していたが、その記憶がいつまで持つか、ということもあるので再度まとめたことを文字に起こし手紙という形で母に送ることにした。
物忘れの多い人には、言うだけでなく文字で、が大切ではないかと最近思うようになった・・・。
(その3へ続く)