初回としては無難に(何事もなく)終了できたのは、やはり包括さんのおかげだと思う。一人で、つまり親子の間で、すべての段取りを踏むのはやはり無理だ。そこには、親子だから好き勝手言える、という甘えが入ってくるからなのだろう。
第三者(包括さん)が入ることで、母も"よそ行きの対応”をせざるを得ず、かえってスムーズに事が運ぶ部分はあると思う。
ただ、その後にもしかすると山があるかもしれないけど、というのが、この2年ほど(あるいはもっと前から)母と丁々発止とやり合ってきた私の素直な"予感"だ。
さらに、今や、母の記憶はそう何日も保たないはずで、何かの不安、何かの疑い、が生まれるとそれが一人歩きしてしまう可能性が益々大きくなっているのだ。
さすがに、”逆流性食道炎”騒動での動転状態からは既に解放されたように見えた母だったが、元に戻れば戻ったで、いつもの”捜し物症候群”が始まることとなる。ブログには少々茶化した表現でシンドロームだ、症候群だ、と書いているが、それは単に私自身が一息つくためのものであり、当の本人は至って真剣・不安なわけです。
あれ、さっきの人、健康保険証持って行ったけど、医者に行くとき必要なんだよね
いや、預かってもらったのは介護保険証。健康保険証は母さんが持ってたよ。
ええ!?(いつものバッグをゴソゴソ)でも、ないけど?
(お薬手帳の間に挟んであるのを見つけ)ほら、ここにあったよ
ああ、ほんとだ。それで、介護保険証はいつ返してくれるの?
また電話連絡あるから、それを待っていればいいんだよ。
そういえば、さっき来た人に名刺をもらった気がするけど、どこいったのかな?電話番号忘れないようにメモしたんだけど、どこにメモしたのかな・・。
名刺はここにあったよ、受診券と一緒に。メモ書きは、さっきお薬手帳の後ろのページの方へ書き込んでいたよ。
そんな会話が、少なくとも1時間に1回は繰り返される蒸し暑い夏の夕べ・・・真坂家の風景であります。
実はこの程度の繰り返し、私も少々慣れてきました。ただ、冒頭で「山」と表現したのはそこらあたりのことではなく、実際に包括さんと打ち合わせた中身のことに対してです。果たしてそれが現実化するかどうか、が心配なのです。
引きこもりがちの母をなんとか外へ誘導したい。近隣の集いに参加させたい。幸運?にも「初めて」包括さんとの対面も果たした、介護支援サービスのケアプランを作りましょう、という話になった、
そう、山とは、母の土壇場のちゃぶ台返し、の事です。