夏日となった6月上旬のこの日、お決まりの東京駅始発の新幹線に乗り帰省した。
施設からの連絡で、5月末と予定されていた母のワクチン摂取。予定通りなら既に接種を終えているはずだ。
ただ、高齢者の接種が終えたところで、他の年齢層の中における感染・重症化も相変わらずあるわけで、そういった層、特に若年層〜中年層に属する人々の一部には味覚障害等々の後遺症が残るリスクは、これまで同様にある。
メディアが時々に口にする集団免疫の状態など遥か彼方の話だ。
それでも、高齢者はもとより、介護現場、医療現場で働く方々の肉体的・精神的ストレスが軽減されるのは素晴らしいことだし、
結果、コロナ以外の疾病を患う人々が、タイムリーな医療、介護を受けられるという「日常」が戻ってくるのが早まるのなら誠に嬉しい。
重症化リスクが減り、日々の生活がより元に戻る、そんな「これからが見える」ようになった時、果たして私たちの日常にはどんな変化が起きているだろうか。
禍転じて福となるような、そんな変化がこの国に起きていてほしい。
こんなとんでもない出来事・災害でもなければ、この国が遅まきながらも変わる・変われるきっかけは2度と巡ってこないのでは、と心底そう願っていた。
そう、いた。・・・だ。
コロナが明け、
各地のオフィスから霞ヶ関に至るまで、ファックスで手書き文書を送受信し、それをまたPCに入力する等という堂々巡りが激減し、
認印なる無用の長物を盲滅法ペタペタと朝から晩まで押す職務が管理職からなくなり、
都心に通勤する必要のない人が増え、
鮨詰めの通勤ラッシュ、そう、ごった返す朝の象徴的映像として映し出される品川駅のあの風景が過去のものとなり、
途方もない時間をかけ通勤し仕事終わりに一杯ひっかけ、ほろ酔い加減で帰宅しベッドに倒れ込む、
家で何が起きているか、子供に何が起きているか、よくわからぬ、といった「ご主人様達」が減り、
大震災の起こる可能性70%と予想される東京圏から、少なからぬ企業、人々が地方に移り、
都内、というだけで下がることなかった地価・箱物の相場が下降する、
そんなeraがこの日本に訪れる・・・きっかけとなる?
どうやら、やっぱり、そう、やっぱり、何も起こらない、
そんな気がし始めている。
慣れた生活スタイルを変えたくない、というのは特定の年齢層に限ったことではないが、
これまで先送りばかりしてきた「面倒なこと」が、
今回も、それもこれだけの大きな出来事をもってしても、先送りしてしまう芽が出てきているように見える。
台湾ってすごいね、とか、イギリスは、とか、韓国でも、米国も、等々、一見他国の「やりよう」に羨望の目を向けているかのように見えてはいたが、
結局、実の所、日本人ってすごいよね、という自画自賛の境地・木阿弥に戻ってしまうのではないか、そんな気がする・・・。
実際はそういう方向に誘導されてしまっている、と私自身は思っていますが。
先送り、なんていつまでも続くもんじゃぁない。
いずれは二進も三進も行かなくなる。
いや、もう行かなくなっている、そんな気配がとうの昔に訪れているのに・・・。
そこかしこに、様々な「息吹」が頭を持ち上げ始めてはいるものの、
先送りを(結果的に?)良しとするこの国の凝り固まった仕組みと、自画自賛の境地に浸かる人々、そしてその環境下で成り立っている経済、
そんな広範な勢力図を描き直すきっかけをもたらす程の波動をこの災害の副産物として期待するのは難しそうだ。
ワクチンの入手に始まり、あれが遅いこれが遅い、と無限地獄巡り?ばかりが話題の中心にあるように見えるが、
石橋を叩く、という行為はできるだけ安全に渡る為の一過程であったはず。
それが、ただただ叩き続ける、いつの間にか叩くことが目的と化してしまった、それが日本。
とどのつまり、他の人々が渡るのを待ち、皆が渡り始めてからその後に続く、結局何を思い石橋を叩いていたのか、要は人が渡るのを待っていた・様子を見ていた的な・・・それが日本。
ワクチン然り。
先立って新製ワクチンを試そうなどと日本が先んじて一歩踏み出すことなど無理な話。まずは皆が“渡る“のを見てから・・・と。当然のようにそうなる。
そこに輪をかけているのが、その石橋のたもとで年中繰り広げられている、責任探しに余念のない人々と、当事者となるのを何がなんでも回避しようとする人々のせめぎ合い。
遅い遅いという人々も、いざ先んじて渡ろうとする者を見つければ、今度はその頭を叩き始めるのだ。
何も政治に限った話ではない、日本の仕組みが、世間の大勢がそうなのだ。
良い悪いをひとまず脇に置いても、その結果として今この現実がある、そのことに変わりはない。
類似の体験なり、想いを抱くなりする人は多いと思うが、未だ“流れ“が変わらないのは、
そういったこれまでとは違う潮流が弱過ぎるからか、
いや、澱んだ本流があまりに強すぎるからなのか。
いや、案外所詮は同じ川の水、という事なのか・・・。
まさか、こちらのブログでこんなことを書き込むことになるとは・・・それと気付かぬうちに私の何処かにストレスが溜まっているのかもしれない。
実家の庭は、除草剤が効き足元の雑草はだいぶ解消されている。
が、低木の庭木の育成は止めようがない。
御近所迷惑とならぬよう、通りに面した塀際の枝を今年も切り落とすタイミングとなった。
そういう作業には絶好の日和とも言えるが、逆に吹き出す汗も半端がない。この調子だと梅雨明けには再度切り落とし作業が必要になりそうだ。
帰りの新幹線の時間もあり最低限の作業のみ遂行し帰途に着く。
夕刻自宅に戻るとまるでタイミングを合わせるかのように施設から連絡が入った。
お母様のワクチン接種ですが、先日(5月末日)x日に無事終了しました。
アレルギー反応といったものも全くなく元気でお過ごしです。
2回目の摂取は7月早々のx日に予定しております。
その2回目の接種の際に必要な問診票なのですが、
こちらの自治体ですと最初から2枚配布されているのですが、お母様の実家のある自治体ですと2回目用の問診票が1回目の際に配られることになっているようです。
そのため、お母様の場合、2回目用の問診票が手元にありません。
雛形は各自治体同じようなので、またご準備いただいて、こちらまで送って欲しいのですが?
そうですか。わかりました。自治体のサイトで雛形はダウンロードできると思いますので、前回同様必要項目に書き入れたものをそちらに郵送します。
ありがとうございます。
それとなんですが・・・できましたらお母様のお洋服、上下と、下着の方も上下、そしてバスタオルを何枚か送っていただけると助かります。
わかりました。夏用にワンピースみたいなものも混ぜた方がいいですか?
いえ。
車椅子ということもありますし・・・ワンピースやスカートではなくズボンの方がよろしいかと思います。
(・・・それはオムツ常用で車椅子、という関係もあるのかな)
そうですか。わかりました。母は寒がりですから、ズボンの方が良いかもしれませんね。
あら、そうなんですか? 今日は暑い暑いとおっしゃっています。
ちょうど良い機会ですから、お母様とお話しされますか? 近くにいらっしゃいますので・・・
そうですか?
・・・もしもし?
・・・も し も し?
もしもし?・・・聞こえますかぁ?
(携帯の扱いに慣れていない母が”向こうで”まごつく様を感じる・・・)
・・・もしもし?聞こえますか?
・・・は、はい、聞こえます。本当似なの?
(いつものことながら、入所している母と話す時にはことさら元気よく大袈裟に話すことにしている)
・・・はいそうですよ! しばらくぶりですねぇ!
どうですか!? 元気にしてますか!
それにしても大変な世の中になりましたねぇ。まさかこんなことになるとはねぇ!
そうだよねぇ。
こうなると、やっぱりこういうところにいるのがいいのかねぇ。
(こういうところ・・・。 なるほど、帰宅願望強い母ゆえのこの受け応えか・・・)
それはそうだよ。
今はあらゆる病院関連施設での面会が厳しく制限されているからね。
こういう状況だと、独り暮らしするよりは感染のリスクは圧倒的に低く保たれるかもしれないね。
なるほど、そうだよねぇ。
一人暮らしのお年寄りは今大変だよ、買い物にも行きづらい状況だからね。みんな感染が怖いんだよ。
あぁ、そうかぁ、そうだねぇ。
先日1回目のワクチンを打ったらしいけど、多くの人が接種を受け終わるまでにはまだまだ時間がかかりそうだよ。
いつまでも流行が永遠に続くわけでもないから、また面会できる日は来ると思うよ。
それまでは食べるものはちゃんと食べ、身体を動かして、健康管理に努めておくことが肝心だよ。
コロナには感染しなかった、でも足腰立たなくなった、では笑えないからね。
そうだねぇ。そちらは大丈夫なの?ずいぶん感染者が多いのでしょう?
(施設長さんの方から面会に行けない絡みでその話をしていてくれるのかな・・・)
あら、世間の状況にずいぶん詳しいじゃない。
大丈夫だよ。会食も外食もしないし、人とはできるだけ会わないようにしているから。
あらまぁ、そうなの、大変だねぇ。
まぁ、とにかくしばらくの間は我慢だね。感染しないに越したことはないからね。
そうだねぇ
記憶にあるより幾分低めのトーンに感じられた母の声。
それでも非弱さなどが漂うような声色ではなかった。
少なくとも行き当たりばったりの会話上で認知症の進行に大きな変化を感じ取ることはなかったことに安堵。
元々短期記憶がひどく衰えていた母のこと、多分以前の手紙を読み返す、あるいは、施設長さんから時々に、手紙に添った情報インプットを行なって頂いているのだろうと、そんな事が想像できる言葉が端々にあり、少々安心もした。
人それぞれ、十人十色なのだろうが、人との接触に積極的でない母が一人自宅にこもっていたらどうなっていただろう。
間違いなく症状は加速度的に悪化していたはず。
“あの時“の状態からみれば今の方が明らかに精神的に落ち着いている。
高脂質・高糖質の冷凍物で溢れかえっていた実家の冷蔵庫。
乱れた食生活、引きこもり、妄想、その行き先・顛末を想像するだけでも空恐ろしく、その状態の継続は決して母のためにもなっていなかったはず、と私は信じる。
そしてこのコロナ禍だ。
母があの施設に巡り会った、それも運命なのだ、と私は思っている。