思い出せないほど遥か昔、長蛇の列にならんだ、そんな記憶がある。
サイトには「特に混み合う日」として月曜日午前中、とあった。
その月曜日、もう午後2時をまわっている。
この時間帯なら昼休みのタイミングで訪れる人達もいないはず。そんな皮算用もあった。
急いでいた、わけでもないが、思い立った時にやっておいた方が、という思いが消えなかった。
少々離れた場所にある旅券事務所まで、昨日の今日、一晩明けたこの日に馳せ参ずるというのも如何なものか、という思いもこの日の朝はあった。
そこが密状態ならひき返す羽目になり、骨折り損の~になる可能性もある。
この体調での体力消耗は避けておくべきなのか、直前まで迷った。
24、5時間ほど前、2回目のワクチンを接種。
1回目と同じ、「流れる回転寿司」の如く、接種自体はすんなり完了。
では、こちらのお部屋、あちらx番の椅子で、x時x分まで様子を見ていただきます。
看護師さんに指示され、椅子に座り時が来るのを待つ。
「よかったぁ、これで2回うてたよ」
小声がカーテンで仕切られた向こう側から聞こえる。男性の声だ。
妙にしんとした一室ですることもなく椅子に座っていると、聞き逃してしまうような小声も、ズカズカと遠慮なく耳に入ってくる。
続けて女性、歳のころ5、60代といった声色が飛び込んでくる。相手は看護師さんのようだ。
「・・・はい、そうなんです。そ の 時 は特に何も言われなかったので」
”何も言われなかった”という部分が妙にはっきりと耳に残る。
「・・・そうですか、お亡くなりになったのですね・・・わかりました、連絡の方はこちらからあげておきますので・・・」
身内のどなたか、おそらくは祖父・祖母といった間柄の方が亡くなられた、ということのようにも聞き取れる。
<こちらで接種後、亡くなった。接種時医師から特に指示など何もなかった>
という思いを ”何も言われなかった”の一言にその女性はこめたのだろうか。
いや、それでも?その女性が本日接種を受けている、ということは・・・という想像も成り立つ。
することもなく椅子に座っていると、根拠のない思いつきが好き勝手に溢れてくるようだ。
接種前に亡くなる方もいれば、接種後に亡くなる方もいる。運命を分けたのがワクチンだったのかはわからない。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
接種後は1回目同様に、大人しく自宅で過ごすと決めていた。
前回もそうだったように、リクライニングチェアを思い切り倒してタブレットに見入る、の体勢。
今回もちょっとした「痛み」はでるのかな、まぁ、それも明日になってのことかな?
等とこの時は思っていた。
夕方近くなった頃、何か変だ、という違和感。
目を擦る。
ぼぉ〜っとしていたのか・・・
いや、眼鏡に曇りでもあるのか・・・
外してレンズを確かめてみる。
いや、タブレットの見過ぎか?
視力が若干ぼや〜としている。
水でも飲もうかと椅子から起き上がる・・・
と、立ち上がり様、
足元の微妙なふらつきを覚える。
おいおい、どうした、
コロナ禍の生活で足腰が鈍ったわけでもあるまいに。しかも今になって?
コップに水道水を注ぎ、飲み干す。そして遅ればせながらも頭をよぎったことがある。
(きたか、副反応?)
そういえば、足腰の関節に違和感があるような、ないような、いつもと違う。
こう見えて・・・???・・・幼少期は大学病院に入退院を繰り返した。
体温計を振り切るほどの高熱に見舞われること度々。
医師に往診してもらったりと 病院とは切っても切れない生活を送っていた時期もあった。
両親にはさぞかし心配、苦労をかけたことだろう。
その父はとうの昔に難病で亡くなり、母は記憶に障害が出て施設に入っている。
断片的な記憶の片隅に、熱も酷くなると天井が回って見えていた・・・覚えがある。
あの頃主流の水銀体温計のてっぺんまで、振り切れそうな高熱にみまわれた時だ。
熱が駆け上って行くタイミングは決まって夕方近く。
寒気がしたり、関節の節々が痛くなってきたりと、「いつもの症状」が前触れのようにそれを知らせる。
そしていよいよ40度あたりまで上がると天井の角が私を中心にぐるぐると、そしてゆっくりと回り始める、
実際に回っているのは天井ではなく、自分の目(意識)なのだろうが、
それが未だ記憶に残っている。
懐かしき幼少期の体験、と言えば不謹慎だが、物心ついてから「発熱」という体験が多分全く無い私の頭に、今更のように蘇ったのは、遥か何十年も昔、あの時、身に刷り込まれた記憶だった。
(そうか、発熱の可能性もあるかも・・・)
- なんとなく・・・②へつづく -