母の入所している施設では毎月1度K病院医師による定期診断がある。
実際に同席したことなく詳細をつまびらかにすること未だかなわない。
どのような診断・結果だったのか施設長にお願いし後日連絡はあるものの・・・
「時間をかけて個々に面談されます」と当初言っていた割には手短な報告しかこない。
微に入り細に入り知りたいなら自らその場に馳せ参じるべきなのだろうし、そもそもそこまで(=家族の代役となるところまで)は施設側の守備範囲ではない、というのもある。
おそらく、「時間をかけている」というのは問診に物理的時間を費やしている、ということなのだろうと勝手に理解はしている。
時間はかかってしまうだろうな・・・と思うので。
世の医師と患者にとって問診というのは鬼門であるかのように見える。
あれこれとすべてお話しして医師にわかってほしいという患者と、これから対処すべき疾病がどのようなものであり、それに対する処置を推し量り判断するに必要な事項を患者から聞き出したい医師。
その間に思いがけずもすれ違いが生じそれを埋めることできずに、医師はいらつき、患者はがっかりする・・・大抵の場合。
四方山話、世間話の類はもういい、で、結局なにがどう問題なんだ?と心中穏やかでない医師。
あれも言いたい、これも訴えたい、医師を前にして次々とその悩み・不安を堰を切ったように吐き出し、事ここに至るまでの思い全てを伝えたい・わかってほしいと思う患者。
行列のできる病院ならずとも、多くの医院でまず看護師さんが患者に相対しその訴えを聞こうとするのは、そういった医師側から見た「短縮すべき時間」を処理するための取り組み、言い方を変えればフィルターなのだと私は思っている。
医者の門をくぐっって問診票に記載を促されドギマギしながら言いたいことのほとんどは記入することできず、医師と対面する。
さもありなん・・・患者と相対しての問診が鬼門になる所以だ。
それは、むしろ医師の力量不足、聞き取りも医師の技術と一刀両断するのは簡単だが・・・
患者が認知症だったらどうだろうか?
果たして母に、日々日常の自らの体調について「事実・ありのまま」を医師に伝えたり、訴えたりすることができるのだろうか?
医師の前では「途端に、見違えるように」元気になる、元気を装う(私はそう理解している)・・・のは、母が持つ元来の性格でもある。
が、それに”輪をかけて”、認知症を発症し短期記憶が著しく衰えている母が、医師の問診を受けて果たして「結果としてどうなのか」が どこぞに引っかかって取れない小骨のように気になる。
何も悪いところがなかったから、施設の方も連絡するに値する事項がないのだろう、と良心的に解釈する・・・ほど楽天的にはなれない所以だ。
便秘であれば、3日前からお通じがありません、とか、今朝はこうでした、とか、
頭痛であれば、昨日から頭が痛くて、とか、筋肉痛であれば、今日は大丈夫ですが、昨日まで1週間ほど痛かったです、とか・・・
大抵の場合、患者は過去と現在の症状を比べて、あるいは並べて、医師に伝える場合が多い。
でも、3日前がどうだったから、今日の朝は?昨日は?、といった「過去の症状」を母が記憶し続けそれを伝えることができるとは思えないのだ。
排便、排尿だけに限って言えば、病院なら度ごと記録を取るように看護師さんから指示されるor看護師さん・介護士さん自身が記録をつけて下さっている。
老人ホームにそういうシステムはない。
とはいえ、母は、そして結果的には私も、ある意味幸運だったことは忘れてはならない。
急性期病棟での手術後、何のご縁か運命かK病院に転院する事になり、
K病院隣に傘下の老人ホームHがあり、
K病院〜老人ホームの間に医療連携があり、
まがいなりにも、その施設にはK病院医師の定期回診があり、
整形外科等受診も、施設から”善意”の付き添いをしていただける、
のだから。
真坂さんですか? K病院のA先生に往診して頂きました・・・
問診・・・②へ続く