それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

骨折病棟ふたたび (前編)

S病院は新興地区にある一般急性期病院。

実際にそこを訪ねるのも、最寄りの駅で降りるのも今回が初めてだ。比較的新しく開発された地区にある駅だけあって造りはきれい。立派な駅前通りがあり、その両脇に大きなビルが建ち並んでいるのが見える。でも駅前は拍子抜けする程閑散としている。

交通手段はバスかタクシー。大抵の住民は自家用車を利用するのだろう。いかにも時間を持て余しているといった風のタクシー運転手がたばこをくゆらせているのが目に入る。そんなタクシーを利用する気にならなかった私は、1時間に1~2本しかないバスで病院に向かった。時間自体はさほどかからない。

 

受付でいくつかの必要書類に記入捺印、それでは整形外科のある△階のナースステーションでこの面会表を提出して下さい、と指示を受け、脇にあるエレベーターに乗り込む。

△階で降りると、ナースステーションが斜め向こう正面に見えた。

 

2年前に母が搬送された救急病院は、地域の基幹病院でありかなりの規模。整形外科のフロアーもこちらよりは広かったはず。それでも、このS病院の方が廊下を行き来する人が多いように感ずる。前はもっとし~んとしていたような気がする、なぜだろう・・・。

f:id:masakahontoni:20190205171150j:plainあぁ、もしかすると、行き来する看護師さんが多いのかもしれない。ある人は、回診車、ナースカートをひき、ある人は患者さんと並進しながら、すれ違う人に一言声をかける、挨拶をする・・・そういったこの病院の環境が私にそう感じさせるのかもしれない。

 

二つ程角を曲がり進んだところにあるのが母のいる病室のようだ。6人部屋の窓際らしい。相部屋の方々の気障りにならぬようゆっくりと歩を進めると仕切りカーテンの向こうに横たわっている姿が現れた。

「どう?」

目が合う、疲れた表情が心なしか緩んだように見える

 

「寝てたの?」

照れ隠しなのか、ばつが悪いのか、はわからぬが

いや、ちょっと、とだけ応える母。

 

f:id:masakahontoni:20190205174614j:plainどこで転んだの?と聞くと、廊下と居間との段差につまずいたという

「そうなの、確かあそこには目立つように蛍光テープを貼っておいたけど・・・。」

 

そう、2年前初めての骨折で母が入院中、これはいかんと階段や照明用スイッチ周りに蛍光テープを貼り、”その段差”部分が夜間でもはっきりわかるよう無印良品で購入したセンサー付きLEDライトを側にあるコンセントにつけた。

けれども、多分、電気代がもったいないという理由なのだろう、帰省の度にそれがコンセントから外されているのを目にすることになり、ライトを諦め、代わりに蛍光テープを貼っておいた場所だ。

 

「折れたものは仕方がない。早く治るよう頑張るしかないね。まぁ、よかったじゃないか、入院先がこのS病院で。前と同じT病院だったら、あら真坂さんまた来たの-、ようこそいらっしゃいませ!なんて言われてたところだよ。」

さすがに、この定番ジョークは今でも通ずるようで、母はにやりとし、

「でも今回は痛みが全くないんだよ。多分そんなに完全には折れてない気がする。それなのにおしっこが寝たまま出来るようにチューブ入れられてるみたいなんだよ。」

と掛け毛布をはだけ、膝から包帯でぐるぐる巻きにされ丸太のように固められた右足と、おしめ姿の下半身を見せる。

 

「おいおい、女性なんだからそんな姿を俺に見せるなよ。」

いや、トイレに行きたいんだよ、と無理に起き上がろうとする母。

「だめだよ、骨折したばかりに動いては。ちょっと待ってて」、と廊下に出て看護師さんを探し -といっても、この病院はあちらこちらに看護師さんがいる- 声をかける。

「そこの部屋のものですが、トイレに行きたいと言ってるんですが?」

「・・・えぇっと・・・チューブを入れてありますので、そのままそこで済まして下さって大丈夫です。」

はい、わかりましたと、部屋に引き返し、そう母に伝える。

「いや、大きい方がしたいんだよ」

エェ!と、また廊下に出て先ほどの方に尋ねるメッセンジャーボーイ真坂、

「何度も済みません。大きい方らしいんですが・・・」

「・・・おしめを装着されていますので、そのまま済ませて結構ですよ」

と言われまた引き返しそう母に伝える。

「エェ!ここで?やだよ、トイレはすぐそこでしょう?早くしないと大変なんだよ」とまた起き上がろうとする母・・・そんなやりとりをしているところへ、先ほどの看護師さんがもう一人と部屋に入ってくる。

 

ここで一悶着とまではいかないが、そのままで、いやトイレで、の繰り返される問答を聞きつけたのか、また一人介護士さんが現れる。邪魔してはいけないと廊下へ出て見守る傍観者と化した真坂。

『それにしても、俺の顔を見た途端便意を催すとは、まいったな・・・』

早くしないと出ちゃうよ、と仕切りカーテンの向こうから母の声が聞こえ足下で様子を見ていた看護師さんの表情が曇るのがわかる。この成り行きを見ていた向こうの入院患者さんがそそくさと廊下に避難してきた。

 

母のベッドの周りでは、意を決した看護師て・・・色々失礼があるかもしれませんが、よろしくお願いします。」

「ああ、そうだったんですか・・・」とうなずきながら明るく受け応えてくれたその方の左腕に巻いた包帯を見、

「左腕を折ったのですか?」と聞くと、

「両腕。転んだとき両手で手をついたと思うのね、両方折れちゃったのよ。」と。

年の頃五十路前後ぐらい? 以前搬送された救急病院、その後転院したT病院では入院患者の殆どが高齢者。それと比べればずいぶん若い。右腕にはもう包帯もしていないことから、大分そちらの方は治療がかなり進んでいるのだろう。

 

しばらくして母が今度はストレッチャーに載せられ運ばれてきた。そうだ、現状母のトイレでの用足しには尿道に挿入したチューブの取り外しが必要なのだ。時間がかかるはずだ。

f:id:masakahontoni:20190206130032j:plain今度は、ストレッチャーからベッドに母を移動させる作業。先ほどは苦労したが、今回はそうでもない。今時の、というか、こちらのストレッチャーは上下は自動、ストレッチャー上のシーツ部分がスライドする。それごと患者をベッドへ移した後、そのシーツ部のみストレッチャーに戻せば移載作業は完了だ。先ほどのベッド~車椅子間の移載より遙かに効率がいい。

それでも先ほどの騒動でベッド上に丸められた掛け毛布が邪魔になる。それ私が持ちましょう、と声をかけた。あっすいません、お願いします、と今度は看護師さんから許可が出た。なんともふわふわの軽い掛け布団を丸まったまま抱え込み、しばしの間そこにたたずむ大の男、真坂。

そうこうしながらも、ようやく母のトイレ騒動が落着。病室に平穏が戻り、避難されたあの方も自分のベッドに帰還。

 

横たわっているのは、相変わらず元気のない母。

「朝はなに食べた?」

「朝食は出たけど食欲があまりないし、特段おいしいわけでもないし・・・」

「入院で少なくともバランスのとれた食事にはなるのでそれは有り難いことだよ。食べなけりゃ栄養がとれないよ。栄養をとらなければ、治る骨折も治らない。昨日の今日だから食欲はないのだろうが、慣れれば食べるようにしなけりゃね。」

等と話した後、1階受付で言われたコピーをとるため、母の保険証を預かり病室を後にした。

 

まもなくするとお呼びがかかったので、また後で戻るから、と母に言い残し、病室を出る。案内された別室で入れ替わり立ち替わり各担当?看護師さん達から様々なことを聞かれる。答えた内容はその場で即パソコンに入力されていく。

家族構成、連絡先、入院前の母の生活状況、住環境、自立・自炊生活の程度、介護保険関連、糖尿病等の過去~現在の疾病履歴、一般病歴、アレルギー有無、ステロイド系薬剤の使用有無、かかりつけ医関連、担当の地域包括センター名、等々等々・・・

f:id:masakahontoni:20190206133005j:plainその後担当看護師+担当医との面談で、骨折の程度についてレントゲン写真を提示され説明を受けた。右足、腓骨の上の方、脛骨の下の方、2カ所にわたり折れている。折れた周辺にはかけらと思われるものが複数見られ、粉砕骨折していると思われる。

「よく聞く大腿骨骨折でなくて未だよかったのでしょうか」と聞く私に、大腿骨でなくてよかった、とは言えないし、寧ろ・・・という心配もある。手術をせず保存療法の場合は、長期にわたり右足を固定することになり、うっ血、エコノミー症候群に似た症状で死に至るケースもあり得るし、この骨折の状態、そして、高齢者、骨粗鬆症、等と考え合わせると、そもそも保存療法で折れた箇所がしっかりとくっつくのか、疑わしい。

では手術で、というのも選択肢になり得るが、やはり高齢者であるという問題、そして、これは麻酔医との相談になるが、全身麻酔に耐えうる状況かどうか、調べる必要もある。

いずれにしても、現状から見るに、治療を終えた後、これまでと同じような自立した生活には戻れない可能性が非常に大きい。

 

それでですね、と続けて担当医が質問を重ねる。もしもの時に、ついてですが・・・

 

- 後編につづく -