毎週日曜日は、週"慣”ご機嫌伺いの日です。母のストレス発散/ガス抜きの足しになればと毎週日曜日に電話連絡をしています。
”母の電話攻撃耐えきれず、シャットアウト作戦講ずる事2週間、拍子抜けする程静かだ、一体あれは何だったのか?”、と書いたのが一週間前。
来ました、いや、別にそれを待っていたわけでは全くないのですが・・・今度は手紙で。敵も然る者、電話がシャットアウトされたとみるや、手紙作戦に切り替えたか・・・。
私も、心中穏やかならず、感情の高まりを抑えるべく手を講ずるもののストレスが軽減しません。一人で悶々とするよりも、はっきり伝えた方が(どうなるかはともかく)"案ずるよりも産むが易し"ということもあろうかと、そんな心構えでこの日は電話をかけました。
どう?何か面白いことあったかな?
別にないねぇ。
家で閉じこもっていたら何も起こらないと思うよ。自ら外へ出ないとね、話題はつかみに行かないと何も起こらないよ。今週は例の集いには参加したの?
ああ、したよ。でも、膝が痛くて。それに、"脳活の集い”も最近は先生が前で話を長々とするんだけど面白くないんだよね。
膝関節症は治らないよ。痛いのに無理して歩けとは言わないが、そういう人のために迎えに来てくれるサービスもあるよ。包括さんと相談したらいいよ。それに、今のままでは、行けたとしても週一回。あとの六日間は引きこもり。本気で脳活するなら週2~3日は外へ出ないとね。
面白い、つまらないではなく、外へ出て見知らぬ人と新鮮な話題で盛り上がるのが脳活なんだよ。外へ出るとなれば、裸で行くわけにも行かないし、髪もとかせば化粧もするでしょ。それも脳活なんだよ。
勝手知ったるご近所さんと毎度おなじみの話をしても何の刺激も脳は受けないんだよ。先生の話がつまらなくても、行けば行ったで同年代の人と新たな話をする機会ができるでしょう?
そうだねぇ、皆互いに話をするのが楽しいみたいだね。
膝が痛いからと家でごろごろしてたら筋力は衰える、筋力衰えれば余計膝への負担が増える。脳活にもならない。母さんのような怠け者は、何か機会がないと外へ出ないでしょう?つまらなくても外へ出る機会を作る。”良薬口に苦し”とは母さんの世代の人の教えだよ。薬だと思って、脳活に行かなければだめだよ、それが苦くてもよく効くんだからいいんだよ。
ずいぶんはっきり言うねぇ
そりゃそうだよ。家でごろごろしてるから、夜になっても目がさえて、物思いにふけってああでも内向でもないと毎度同じ暗い話を持ちかけられたおかげで、精神的に耐えられたくなったんだよ。
やっと夜の電話がなくなったと思ったら、今度は手紙。もう止めて欲しいな。俺も精神的に限界だよ。
妹夫婦から最近音沙汰がないと、これまたいつか聞いたようなことが手紙に書いてあったけど、”便りがないのはよい知らせ”とは、これまた母さんの年代の方々がよく言ったことだよ。そもそも、嫁に行って旦那さんもいるのに、夜電話して、孫はどうした、こうした、言ったら旦那はどう思うかな? 当然、疎遠になるんじゃないかな、単なる想像だけど。
何度も言うけど、夜あれこれ悩んだところで何も変わらないし、そのストレスが脳にとても悪いんだよ。そんなことに周りのものを巻き込むような行為は止めた方がいいよ。
わかった、わかった。
本当かなぁ。母さんの、今度行く今度行く、と、わかったわかった、には何度も裏切られてるからなぁ。行く行く詐欺、わかった詐欺だな。
あはは。そんなことはないよ。本当にわかったから。
それと、無料で水漏れ検査の件はどうなった?最寄りの自治体からも注意喚起がでていると、コピーをそちらに郵送したけど。毎回の水道料金も多分変わってないでしょう?
あのあと、おまえからの手紙を見て、不安になって断ろうと思ってるんだよ。でもあれから、うんともすんとも音沙汰ないけどね。引き落とされている水道料金も確かに余り変わってなかったねぇ。
これも昔の人が行ったことだけど”ただより高いものはない”だよ。水道の状態に調べて欲しいところあるなら、手紙で送った自治体の広報の下に電話番号があるから、そこへ電話してどこの水道屋に来てもらったらいいか逆に聞いたらいいよ。
で、やわらか弁当と栄養ドリンクはどう?覚えてないなら、このまま待ってるから冷蔵庫を見ておいでよ。
・・・・・・今見てきたけど、やわらか弁当があと二つ、ジュースは六つぐらいあるかなぁ。寒くなってきたから、ジュースを飲む回数がちょっと減ってるよ。それに、毎回送ってもらうのも申し訳なくて・・・。
そんなことはないよ。どのみち送るのだから。ただ、送りすぎて冷蔵庫がいっぱいになるのはまずいので毎回聞いているんだよ。そういうことなら、週の中頃に届くようにまた注文しておくよ。
いつも悪いねぇ。
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どうも、今ひとつ、「無料で水漏れ検査」という話が実際に持ちかけられたのか、母の応答の節々に釈然としないものを感じる。いずれにせよ、それがあったものとして対処。
想像するに、母の「夕暮れ症候群擬き」は続いているのだろうと推測するが、修行の足りない私にはそれに耐え続けることはもうできないと踏ん切りつけたので、これからもその方向で相対する所存。
一度話してそれをいつまで記憶していられるか(というより記憶できていない)という問題があることを念頭に、ことある度に伝えたいことは(何食わぬふりをして)くどい程繰り返すことにしている。幸い本人は「くどい」という感覚もないので。
実際、やわらか弁当が冷凍庫にあると言い続けて実際に手をつけるまで1ヶ月かかっており、この前言ったじゃないかと文句を言っても仕方のないこと。あれもこれも小姑のごとく言ったところでストレスがたまるのはこちら側。どうしてもこれだけは、というところ(私なら、電話攻撃、とか、手紙攻撃、になりましょうか)以外は、そんな按配?で、というのが現状。
ここのところ意識的に繰り返しているのは、週一では依然ほぼ引きこもり状態、もっと出かけた方がいい、送迎サービスもある、包括さんと相談したらいい、だ。
なんとか、次はデイサービスを受ける段階に”何事もなく”移行できれば、という希望があるので。