それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

減量(1)

減量のこと

f:id:masakahontoni:20180905183317p:plain「真坂さん、大丈夫?」


「まさか、病気じゃないよね?」

 

私の”様(さま)”を気遣い声を掛けてくれる同僚方々。

なるほど、確かに。みんな私の昔を知っているのだから・・・心配するよね。

 

その昔(だいぶ昔)、暴飲暴食当たり前、不規則生活当たり前、で私の肉体は思うがままに膨らみ、90Kg越えまでに膨張。

にもかかわらず、スパスパとたばこを吸い、出入りの業者さんには、

 

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「いやぁ、この空間は桃源郷のようですなぁ」

 

 

と煙でかすむ私のデスク周りで冗談を言われ、

 

昼ともなれば、近隣ビルに入る結構な店構えの中華料理店に皆を引き連れ”ランチの集い”に興じ、

 

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「こんな、インコの餌みたいな量では足りませんなぁ」

 

と一人、昼食のはしごに抜け出して、という毎日。

そうなりますね、の体重90Kg越えとなるのは至極当然のこと。

 

f:id:masakahontoni:20180905185000p:plainとなれば、これもまた、そうなりますね、の体調不良、そして腰痛が後を追いかけるよう押し寄せ、身体のそこかしこが悲鳴を上げ始める。

 

ある日覚悟を決め、たばこを止めた。そして仕事終わりに足繁くスポーツクラブに通い、休日にも体を動かした。

どうにか体重は80を切るところまで落ち、腰痛の程度もだいぶ緩和した。

 

ここまでが第一次減量期。遠い昔の話だ。当時の私に減量とかダイエットといった意識はなく、ただただ、「このままではもたないな」という思いから、というのが正確な状況だったと記憶している。

 

しかしながら、そもそもこのBLOGを開設した思いに即するのなら、むしろ第二次減量期について紹介するのが適当なのに違いない。

現在私の体重は60Kg前後でおちついている。

f:id:masakahontoni:20180905190110p:plain70K台から現状まで体重を落としたわけは、大昔(第一次期)減量したときの理由とは異なる。第一次の時はそう大きな努力もせずに減量することができた。たばこを止め、運動を心掛けただけだ。(アミノ酸は飲んだかな・・・)

70K台からの減量は、それなりに準備もし、過程の記録も取った。実際の減量は1年ほどで目的を達したが、現在はその維持に努めているので、変わらず日々の記録を(出張中でもない限り)とり続けている。

 

人には個性がある。スリムな人もいれば、ふくよかな人も入れる、それぞれあってしかるべき愛されるべき個性だ。誰もがスリムであったり、誰もがふくよか、なんていうことはないのだ。

 

それでもなお、あえて、私の例、として書いておこうと思ったのは、とりもなおさず、この20年ぐらい母を見て思うところがあるからだ。


母はきわめて「普通の人」なんだと思う。TVでバナナが健康にいいと言われれば、バナナを買い、生姜がいいと言えばそれを試す・・・一時的に。

 

世の中は、あれがいい、これがいい、の健康情報にあふれている。そのほとんどすべてが断片的なもので、まるで日替わり?週替わり弁当のようにアレコレと食材を取り上げる。それに煽られた人々が買いに向かいスーパーの売場からこれまた取り上げられた食材が売り切れ一時的に姿を消す。


母は認知症だ。いや、正確に言えば、専門医の診療を拒否しているのでそれと正式に診断されたわけではないが。


なぜ、そんなことになってしまったのか。ここに至るまで、腰痛や膝痛他諸々、おおよその高齢者が悩んでいるであろう疾病を患ってきた。


そして、今でも私は悔やむ。あのときああしていたら、どうなっていたかな、違う世界があったのではないかな、と。


私は、母を反面教師として生きたい、と以前にもまして今考えている。こうすればこうなるなんて言う万人共通の方程式などないと思う。これは壮大な実験なのだ。モルモットは私自身だ。


どう生きたいのか、どうしたいのか、いったい母のどこが悔やまれるのか、をお話しすることは、とりもなおさず、私の今の生き方をお話しすることにならねば・・・意味がないのだ・・・。

 

減量(2)へ続く