オリパラ中止を主張する人々が集まり一悶着あったらしき(詳細は知らない)報道があった。
皆さんは、開催する、しない、どちら側だろう?
既にアンケート結果と称するものが報道はされているけれど。
このままでは難しいんじゃない?
でもしなかったら色々大変なことになるんじゃない?
多分どちらも正論。
ただ、コロナ禍を自らの問題として容易に捉えらことができるこの状況に反して、
どう「大変なことになる」のかを今我が事のように実感することは難しい。
そうなってみなければわからないというのが本音かもしれない。
メディアが伝えるのは経費がどうこうとか、国と都がどう負担とか、何故かあっさりとしたことしか伝えない。
言ってみれば事務的なことにしか触れない。
オリパラ期待でオープンしたホテルはもちろんのこと、それ目当てに資金・資本を投じたほぼ全ての大・中・小企業が膨れ上がった固定費をどう縮小・処理するか。
箱物なら売却も、取り壊しも、大損にはなるが、選択肢にあげられる。
では、人はどうか? 人件費の削減にどんな選択肢・手立てがあるか?
それは国が、都が、というなんとなく自分たちとは関係ないように見える土俵のこととは色合いがだいぶ違う。
おそらく、さらに沢山の失業者が生まれると恐る。
オリパラやってる場合じゃないだろう、他に金を使え!
という声も聞く。
でも、オリパラが中止になったところで、既に投下された人、物、金がなかったことになるわけではない。
かといって、どの程度制限のある開催ならば、治癒可能な傷の枠内で治まるのか、それを今取り上げるメディアもない。
そんな中、この際、ごくごく単純に、色々大変だけど、それでもオリパラを開催する、しない、どちらだろう?
いつも通りのオリパラは望めないかもしれない。
それでも、こうだったら、どういうオリパラだったら、開催に前向きになれる、といった条件はあるだろうか?
先日の騒動で、こんなコメントが改めて発出されている。
「多様性と調和」は東京大会の核となるビジョンの一つです。
(中略)
引続き、人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを尊重し、讃え、受入れる大会を運営します。ビジョンを追求しながら、多様性と調和、持続可能性、復興に重きを置き、大会後の社会の在り方にもレガシーを残すように取り組んで参ります。
”オリパラが日本で開催され、それをリアルタイムで体験できるなんて、私にとっては多分2度とない機会だ。”
そんな気持ちも勿論あったけど、私が一番期待していたのはパラリンピック。
できることなら、オリもパラも同時期開催にしてほしいというのが本音だけど、
それでも、この日本で実際にオリ、そしてパラが開催されれば、
障害者と呼ばれる人達とそう呼ばれていない人たちの間にある垣根が今よりも低くなる大きなきっかけになるのでは、
というちょっとしたブレイクスルーのスタート地点となることを期待していた。
振り返れば、あらゆるところに壁が設定され、半ばそれが当然の枠組みであるかのように囲まれた中で各々が過ごしてきたこの社会。
会社の組織においても、多分政治の世界も、取り巻く日常生活にしてもそう。
メディアの報道がAグループ、Bグループと対立軸を設定し、時に比較し、時に対立を煽り、予め設定したキャッチーな題目に沿う番組を構成しているように、
私達も、自身と他の人を時に比較し、時に非難する、
あたかもこちら側と向こう側で違う世界があるかのように子供の頃からそう振る舞い、大人になった。
自分と違うものは認めない、認めづらい、それを異質なもの、ひいては異次元のものであるかのように壁を作り、まるでもう見えていないかのようにやり過ごしてきた。
目の見える人と見えない人。二足歩行する人としない人。声を発してコミュニケーションする人とそうではない人。
その壁を構成する一つ一つのブロックは双方の手によって積み上げられてきたのだろうが、そこには多数派少数派といった物理的なギャップが存在している。
片側(多数派)からの積み上げがより多いのは否定できない。
向こうにいる人達にはもっと前に出てきて欲しいと思うし、こちらにいる人達はもっと向こう側に踏み出してその場の雰囲気作りに参加して欲しいと思う。
例えば、NHKで放送されたこの↓番組、目撃!にっぽん「日本一静かで 笑顔あふれるカフェ」
2月28日(日)am6:45までNHKプラスで見ることができる。
声を発するのが難しいからといってなぜ向こう側の人になってしまわなければならないのか。
これが番組として成立してしまうほどまでに歪んだ世界に私たちはそれと気づかず過ごしてきた。
そろそろ遅まきながら何か変化が起きていいんじゃないか。
例えば、車椅子で入れないお店は多い。なぜなら初めから想定していないから。
目に見えない実はバーチャルでしかないその壁の向こうを いつの間にか意識しないことにみんなが慣れてしまっているから。
最初の一歩は、さほど難しいことじゃない。
先の番組に登場した美容師さん、福祉職の方、ごく普通の親御さんとその子供たち、そんな人達がごく当たり前のように行ったり来たりすることから始められる。そもそもが「無い」壁ならよじ登る必要さえもない。
部署間の対立、省庁間の対立、政党間の対立、勝ち組負け組、性別、そして障害有無。仲良しクラブを目指したいのではない。意見の相違も、対立もあるでしょう、それは当たり前。
でも、その間に聳え立った高〜い壁は自らが積み上げたことに意識が向かない、壁の向こうのことはわからないし、知りたくもない、ということがどれだけの問題を引き起こしているのか、そろそろ具体的な動きがあっても、と思うのです。
オリパラ開催か、中止か?
僕はなんとか開催してほしい。
特にパラは・・・
できることなら観客も入れてほしい。
限られた人数で構わない。
そこでプレーする人たちは超人。
選び抜かれた人達で、日常見かける人達とは違う。
でも、可能性を見る、という点ではオリもパラも変わらない。
何がなんでもやってほしい、と言うとあの人に怒られてしまうが、なんとか開催できないものか?と今でも思っている。
↓こちらは事業者(場所を提供する側)が作成した動画。