10日ほど前になるだろうか、あれこれと周辺環境が変わり、久しぶりの帰郷となったその日。
果たして天気がどうなるか、前日深夜まで様子をうかがっていた。どうやら雨風が一時的におさまりそうということで、帰省を決行。
数週間前に枝を払った木々も鬼の居ぬ間に?と、敷地を囲むブロック塀を越え、好き勝手に新たな手足を伸ばしていた。
当日行うべき作業が何か、がこれで早くも決まった。
塀の外から庭を覗く。
木が倒れている。
ここ数日間の強風に耐えきれず、何本かあった中木の内1本が折れてしまったようだ。
片付けるとなると、枝を払って幹を小型のこぎりで切り分けてと、それなりに時間がかかる。
今日は無理だな、と早々に算段。
日本民族 伝家の宝刀「先送り」だ。
郵便受けに手を突っ込むと、ぎっしりとした手応え・・・
母宛の郵便物が少なくなったとはいえ、数週間も放置するとそれなりにたまってしまうということか
湿り気を帯びたいくつかのチラシに混じり介護やら、年金に関わる葉書、封書の類がゾロゾロと郵便受けから姿を現した。
あの横殴りの雨の中、よくぞこの程度で済んだものだと安堵しつつ、必要なものを選り分け、玄関の敷居の上に無造作に並べた。
帰る頃までに多少なりとも乾くだろうと・・・。
前回同様、脚立を取り出し通りの壁沿いに立て、塀から飛び出た枝を刈り取る。
直径1cmぐらいまでなら剪定バサミでなんとかなる。
今後の天候、コロナ禍の状況次第で 次の帰省まで またもや間が空いてしまうかもしれない。
多少無理をしてでも多めに刈り取っておこう・・・。
一時的とはいえのぞいた青空の下、
台風一過の様な蒸し暑さに汗が噴き出てくる。
それでも前回一度切り取った後だけに、数十分ほどで作業は終えた。
帰りのバスまでに、まだ十数分ほど時間がある
それならと、庭に向かい、できるとこまでやっておこうと、倒れていたあの木の枝払いを始めた。
折れたとはいえ、真っ二つに折れ分かれたわけでなく、首の皮一枚でまだ根本部分と幹が繋がっている。
地中から吸い上げた水分やら養分が、地面に横倒しになった状態の枝葉にまだ脈々と供給されているのだろう
水気を失い揚げ過ぎのポテトチップスの如く変色した葉をつけた枝に混じり、まだまだこれしきと青々とした葉を携えている枝も目立つ。
横倒しになったそれぞれの枝を見境なくスパッと剪定する冷酷さはあっても、
ええいこれまでと”首の皮一枚で”繋がっている幹の部分にのこぎりを入れる勇気はない。
なるほど、先送りというのも「折り合い」をつける一つの手段なのだと合点がいく。
それが来週になるのか、はたまた又しても数週間後になるのかわからぬが、
再びこの場所に来た折には、「けじめをつける」ことになるのだろう。
剪定バサミでできうる範囲の枝を十数本落とし、小枝で45L入りゴミ袋がいっぱいになったところで、この日の「空き家管理」終了とした。
あれから1週間、経路不明の感染者は増え続け、Go to だ、除外だ、キャンセルだ、と事欠かないが、何も変わってはいないと未だに僕は思ってる。
ただ、どうやらこれで施設に入所している高齢者を見舞うことが環境的にまたもや難しい状況になりそうなこと、
そして、都府県をまたいでの移動、そう、実家の管理を行うことが頻繁にはできなくなる、
そこらあたりが変わる、というか、振り出しに戻ることになりそう、といったところか。
諸悪の根源・東京と口を滑らした組長さんがおられたが、
諸悪の根源がどこなのか、誰なのか、犯人探しをしたところでこの国のシステムの元で根本的なところを変える事はできないのだろう。
敢えて言うなら、根源は人間のもつ心持ちであり、境界線を引こうとしても無意味なのだ。
飲みたい、遊びたい、リラックスしたい、ちょっとぐらいいいじゃないか、ストレスで限界だ・・・狡猾なウイルスはそんな人の性をとうの昔に見透かしていたのか、
なりを潜め、人が耐えきれなくなったその時に乗じ、あざ笑うかのように感染の輪を広げる。
よっ!真坂!
どうだ、偶には一杯やるか?夜の街、とやらで?
おまえ、妻子持ちだろう?
自粛自粛で、奥さんも娘さんも疲れてるんじゃないか? こんな時こそ家族かたまって家族愛でも深めたらどうだ?
何をおっしゃいますやら。俺だってストレスたまってるんだよ。
それにほら、経済も回さなきゃ。
本気でそう思うなら、札束握りしめて投げ銭でもするか?
懇意にしてる店があるなら、ボトル2,3本リザーブしておいたらいい。それで店はずいぶん助かる。ほとぼりが冷めた頃大手を振って呑みに行けばいい。
とにかく今じゃない、そうだろう?