ネット購入は今に限ったことではない・・・でも・・・最近、
いつもの、顔見知りの方ならともかく、
初対面の配達員の方の表情がこわばっている。
そんな気がしてならない。
果たして配達先にどのような人が待ち構えているのか気になるのだろうか?
そんな事もあるかもと、
モニターの向こうで「xx便です、◯◯のお荷物です!」と声を上げる配達員の方に、
「ありがとうございます!どうぞ!」とはっきりとお伝えすることにしています。
急に晴れやかな表情を浮かべる配達員の方もなかにはおり、あらためて、巷に流れているような殺伐とした状況下に運送業の方々か置かれているのだと実感。
ドアを開けた途端に消毒液をかけられた、
バイキン扱いされた、
極端な数例だと思いたい気持ちはあるが、そこまでいかずとも 確かに配達員が緊張せざるを得ない環境下であるのは間違いない。
外箱にウイルスが付着している可能性はもちろんあるが、それが体内に入らなければ済む話で、部分的?に消毒液を吹きかけるより、受け取り後、手洗いを”いの一番”にした方がよほど効果的と思う・・・
ウイルスにはアルコール一択だ、と思うのなら、置配もしくは宅配ボックス利用にして存分に荷物へアルコールを浴びせかけた方が気分もおさまるのではないか。
ただ、当人はそこまで「追い詰められてしまっている」が故に冷静になれない事情があるのかもしれない・・・
いったいこの国はどうしてしまったのだ、と嘆く声も聞こえてくる
どうもしてはいない。
以前からずっと、何も変わってはいない。
あの時、福島から疎開した学童をバイキン扱いした、あの構造と同じものが脈々と変わることなくそこら中に存在している、ということなのだ。
土壇場になったとき、切羽詰まったとき、人の素が表に出ると私は思っている。
おとなしかった人が突如として荒々しくなったり、
えっと思うようなことを行ったり、
がっかりするようなことを言い始めたり、
これまで何度かそういう場面に遭遇してきた
今更もう驚きはしない
穏やかな人と思っていたが、それは単なる外見の印象であって、その衣の下に実は「そうではない」別のその人が存在する。
どちらも「その人」であるのか、いや衣を剥いだ状態こそが素、本当のその人自身なのか、様々意見はあるのでしょう。
何が土壇場なのか、どこまでが「限界」なのかも、人様々。
生死の境となると、正真正銘、待ったなし、究極の土壇場。
でも、それに比べごくごく小さな「限界」ならそこ彼処に転がっている。
ごく小さな「限界」が見られた状況なら最近にもあった。
それはトイレットペーパーがないぞ!という噂を耳にしたとき。
それならとスーパーにペーパーを買い求める人々が行列を作り、そこに並ぶ人々の表情にも違いがあった。
明らかに普段とは違うであろう目つきの人・・・その方にとっては「その時が」一つの小さな限界であり、切羽詰まった状況下に陥ってしまっている、ということなのだろう。
どこまで平静でいられるか、人によってはそれを「装って」いられるか、そしていつ「素」が出てくるか・・・
日常とは違う状況下に置かれたとき、様々な反応があちらこちらから噴出してくる。
今我々は本当に切羽詰まった状況下にはまだ至っていないはず
だが、一つの土壇場に陥ってしまっている人も少なからずいる、
のかもしれない。
そして、この先究極の土壇場が到来するのか回避できるのか、それを断言できる者はいない
怒号、差別・・・
それでも、そういった「素」の片側で、
それらとは対極の素も出現してくるというほのかな期待だけは捨てたくない
公に絆絆と叫ぶ人を私は全く信用してはいない、
なぜならそれはとても危うく、いつ何時 その対極にある別の「素」に転じてしまう、転じさせられてしまうものだと思うから。
本当の素は草の根から静かにそれと気づかぬうちに出てくる、絞り出されてくるものだと思っている。
いったいこの国はどうしてしまったのだ、と嘆く声も聞こえてくる
でも
私は本当の、真の素を、未だ見てはいない・・・