それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

雑感

朝は寒く、昼は意外にもかなり暖かい。厚着?それともそれなりの薄着?か朝迷うところだ。

こういうタイミングで風邪をひくわけにはいかない、強くそう思うこの頃だ。風邪などひいて、この時期医者の手を煩わせたくはない。

それなりの服装で郷里へ向かう。

 

人との接触は避けたい。8割減らそうと皆が努めている。

感染は避けたいし、気付かぬうちに感染を広げる当事者になってはならない。

 

新幹線はガラガラだ。

にもかかわらず指定席を取る理由はただ一つ。

人との接触が限りなく少ない車両を「確定的に」選びたいから。

以前なら数日前までに席を確保せねばならなかったこの路線、今は数時間前でも充分間に合うほどに空いている。

平日のこの日、指定した席のある始発の車両には他に二人ほど。ソーシャルディスタンス?は十二分にとられてはいる。

 

乗り継いだローカル線はラッシュアワー前とはいえ、パラパラと座席が埋まる程度には乗客の姿があった。

たいした道程ではない、席には座らず車両の端に一人立ったまま最寄駅を目指す。

 

それぞれの停車駅でぽつりぽつりと乗り降りする人を眺め ふと気がついた。

 

ドアが自動だ!

 

この路線、これまでずっと乗車、降車時にドア横のボタンを自ら操作し開閉させていた。それが、どうしたことか・・・自動で開閉している!

 

なんだ、やればできるじゃないか・・・

 

不特定多数の者がボタンに触れることでの感染リスクを減らすため、このようにしているのだろう。

が、それにしても、ボタン開閉は車両の仕様なのだと思っていた・・・が、実は自動開閉もOKだった、というわけだ。

 

なんだ、やればできるじゃないか・・・

 

もう1ヶ月ほど前になるだろうか、同僚がそうもらしていた。丁度コロナ騒動で時差通勤が望ましいと言われ始めていた頃だ。

 

f:id:masakahontoni:20180909151410p:plainぎゅうぎゅう詰めの列車に揺られ、つり革にしがみつきながら通勤していた頃が嘘のようだ・・・時差通勤なんて前から言われてた事だけど結局何も変わらなかった。・・・それがどうだ、コロナ騒ぎとなるとこうだ・・・

 

f:id:masakahontoni:20180909151410p:plainなんだ、やればできるじゃないか・・・

 

 

と彼は笑っていた。

 

元々が「超」早朝出勤の私にはそんな同僚の指摘に苦笑いで返すしかなかった。

が、やればできそうなことはたくさんあるような気がする。

 

メディアなどでは テレワークというとすぐパソコンモニターでお互いの顔を見ながら和気藹々としている風を紹介しているが、要は今会社でデスクワークをしているなら、その「デスク(机)」が必ずしもオフィスになくてもいいんじゃないか、どこの机でもその仕事できませんか?というところがスタートなんだ。

 

やればできる・できそう、そんなところから始めればいいことだったのに。

急にそんなこと言われても、というのが大半のようだけど、急にそういう話が持ち上がったわけではない、何年も前からあった話で、先送りされていただけだ。

 

早計に過ぎるかもしれないが、今回の件が収束したのち「災転じて・・・」という世界を迎える事が叶うのであれば、

そういう「やればできる・できそう」な事が一つでも多く日常化される契機となれば・・・そういう期待もあるにはある。

 

それは、オリパラ開催で、障害者と「呼ばれる」方々とそうでない「=そう呼ばれない」方々の間にある垣根が少しでも低くなれば、という期待と共にだ。

そうすれば少なくとも今より住みやすい世界が見えてくるのでは・・・という淡い期待・・・

 

日本って素晴らしい、日本人ってすご~い、的な番組、書籍が好まれてきた世の中だけれど、

今私たちの目の前に繰り広げられている様(サマ)はそれとは真逆のことだらけだ。

 

冷静に考えれば当たり前。

野口英世は素晴らしい

→野口英世は日本人

→日本人は素晴らしい 

という方程式は成り立たないのだ。素晴らしいのは野口英世であって、だからといって其れ即ち日本人が素晴らしい、ではない。全く別の話だ。

 

過去の「何か」にすがったところで 同じ未来が訪れる、約束される なんてことにはならないんだ。

 

介護サービス事業所の自主休業が増えているという懸念

 

懸念ならたくさんある・・・

 

感染者の病床が足りない、という懸念

医療関係者までもがマスクを探している、という懸念

医療機器もそのための人員も足りない、という懸念

つまるところ・・・人・物・金、何もない、という懸念

 

その一方で・・・

 

朝、通勤する人達で埋まる駅構内

何しにきたのかわからぬ人々でごった返すスーパー

「なんだか熱っぽいの、コロナかも」と保健所に殺到する相談電話

医療関係者にぶつけられる心ない風評・言葉

不平不満・責任論ばかりのコメンテーターと効果音付きで恐怖を煽るメディア

 

 

本当に困っている人達は声をあげる余裕も場もない事が多い。これまでもそうだった。本当に困窮している人は表には出てこないんだ・・・

 

アベノマスクなんていらないという方は是非寄付して、という話もある。アベノマスクが素晴らしい施策だとは思わないが今文句ばかり言っていても何もかわらない。今すぐできることをした方がいい。

 

今私達の目の前で起きている事は、昨日までの私達の姿なのかもしれない。

 

昨日までの自分自身に文句を言い続けた先に何を期待するのだろう?

 

そろそろもう・・・

 

自分自身が変わらない限り

 

 

何も変わらない