「パーソンセンタードケア入門」について、は今回が最終となります。
特に、第13章「よいケアをしていくために、介護者は自分のことにも目を向けよう」については、それだけでもこの本を読んだ意味があった、至極納得した、そしてグサリと心にきた・・・。
第11章 わたしたちが望める最前のこと~「12の希望のしるし」
介護者としてその人の苦しみをすべて取り去ることはできない。が、一定の範囲に抑えることはできる。望むべく最善は、その人が自らの混乱した状態を「リラックスして」受け入れ、支えられていると感じ、望みがかなえてもらえると思えるようにすること。
知力の衰えつつある人が人としてはっきりと示すしるしがある。
- 自分の意志や願いを主張できる
- 喜び、悲しみ 両方の感情を表現できる
- まわりの人とのふれあいを始める
- 愛情深い
- まわりの人の必要なものや気持ちに敏感である
- 自尊心がある
- ほかの混乱した人たちを受け入れる
- ユーモアを楽しむ
- 自己表現、創造性がある
- 喜びを示す
- リラックスできる
- 手助けをする
これらは事態が改善する希望ではないが、混乱を越えその人が安全でよい状態にあるという希望のしるし。
巻末の記録表で、12点以上ならケアはとてもうまくいっている。
とても低い点数の場合、現在の状況はよくないということ、そして変化と、もっとパーソンセンタードな(=その人に焦点を当てた)ケアが必要ということ。
あなたが家族介護者なら、もっと支援が必要、一人自宅で介護を続けるには今の負担が大きすぎるのかもしれない。
・終わりに目を向ける
割愛
第12章 権利についてもっと知ろう
その人が合理的な意志決定ができず、自らに権利があると理解されないときが最も困難。「守ってあげなければ」と介入し、相手の代わりに意志決定をしてあげたい、と思ってしまう。ときとしてそこには本人の選択余地がない。
もっとも辛い意志決定は施設に入れるときだろうが、家族含めまわりの人にも権利があるということも大切なこと。
施設のケアを受けている場合は、リスクの問題が特に困難。怠慢を理由に責められたくないので、本当は好ましくないとわかっている場合でも過保護にするかもしれない。
<例> 何回か転倒し骨折で入院後、ホームに入った。今では、転倒して骨折することないよう介助なしに歩き回ることを止められている。歩いたのは介助を借りトイレに行ったときだけ、そんな日が何日かありました。すぐに歩行能力は衰え始め、2ヶ月後には自力で歩けなくなりました。状態は以前よりずっと悪くなってしまいました。それはすべて、妥当なリスクを引き受ける本人の権利が尊重されなかったためなのです。
-一つの解決策は、リスクを引き受けることについて施設長と家族が、(できれば本人含め)十分話し合うこと。
-その人に対し過保護になりがちだと気づいたら、「これは、この人にとっていちばんいいことなのか?それとも「自分にとって都合がよく、心穏やかでいられるからなのか?」と自分に尋ねてみる。
・権利のために立ち上がる
重要なのは(誰かに)責めを負わせることでなく、状況を改善し二度と起きないような方法を見つけること。
・権利と人
個人の権利を尊重する、ということは、その人を人として扱っている、ということ。権利無視、権利がないかのようにほのめかす、のは、その人を物扱いしているということ。※権利について考えるのは、パーソンセンタードケアを考える上で重要な要素
第13章 よいケアをしていくために、介護者は自分のことにも目を向けよう
・介護者としてのわたしたちの必要性
よいケアを続けていくためには、わたしたちの必要性が満たされることが重要。
あなた自身を認めてあげてください。あなたにも変化・息抜き・リフレッシュ等の必要性があると認めてあげてください。あなたは聖人でも殉職者でもなく、ただの人間なのだから。
まわりからのサポート;本当に心を開くことができ、あなたの話に耳を傾け世話をしてくれる人が少なくとも一人は必要。
・変化を受け入れる
・やっかいな感情
怒り、不快、罪悪感、孤独、恐怖、羨望、絶望、といった感情は自然で人間らしいもの。あなたは少しも悪くない、そのまま受け止めてください。ただ、その気持ちにしがみつくのではなく、そのまま過ぎて行くに任せてください。否定したり締めだそうとすることは、あなた自身にもまわりのためにもよくない。
・あまり感情を感じられないとき
-介護する人を本当に愛していなかったり、昔の家族間の対立がよみがえったり、意に反して介護をする羽目になったりした場合は、特に難しいものがある。あなたの複雑な感情の中には多くの否定的なものが含まれていることを認めてください。それでも、あなたは優れた介護者になれる。愛情や自由な選択で介護を引き受ける人たちに比べ、あなたにはもっと専門的な手助けと息抜きが必要でしょう。
-ときに家族介護者はひどく腹を立ててしまい、つらくあたったり、実際に殴ったりすることがある。あなたは罪の意識を感じ自分を恥ずかしく思うでしょうが、あなたが意地悪だとか悪いということではなく、我慢の限界にあり今以上の助けが必要だということ。自分自身を許し何よりも助けをも求める必要がある。施設への入所がふさわしい時期なのかも。暴力を振るうかもしれないところまできていると感じたら、自制がきかなくなる前に今すぐ助けを求めてください。
・ほしいものを手に入れる
大切なのは、あなたが心身ともに健康でいられるよう、得られる支援をすべて得ること。頼みたくない、うるさがられたくない、と孤軍奮闘してしまうことがあるが、家族介護者が本当に知る必要があったことを知らないまま何年も介護し、わかった時点では手遅れだったということがある。
声をあげず自己を犠牲にして欲しいものを手に入れられない人たちの仲間入りはしないでください。あなたのためにも、介護される人のためにもならない。それは押しが強いのともわがままとも違う。
助けてくれるすべての人のリストを近くに置き、必要になったら電話をかけましょう。すべての質問事項と伝えたい重要な情報を書き出してから連絡をしましょう。面会の時はノートをとり、わからなかったら聞き、それでもわからなければ書いてもらう。満足いく回答が得られなければ、誰が答えてくれるのか尋ね、提供されるサービスを批判するときは、公平に、的を得て、建設的に。
ケアワーカーの方へ;
割愛
第14章 最後のお別れをしたあとは
割愛
第15章 これからの介護者のために・・・
よいケアって何?
「理解し、継続的なふれあいを築こうとする試み」
それには、混乱した人の一人一人が人として生きられるよう足りないものを埋めることを伴う。
「他の人のために何かをするというだけにとどまらず、自分自身についての認識を高めること」
なぜなら、
- 無力なとき人はどう感じるか理解するには、自分が無力になったらどうなるかを知らなければならない
- 彼らの不安、特に見捨てられる不安を理解するには、自分の心の奥底の不安を受け入れなければならない
- 彼らが世話をされる必要があることを理解するには、わたしたちもまたどれだけの世話を必要としているかを理解しなければならない
- 彼らの絶望感を理解するには、自分自身の絶望と向き合わねばならない
介護される人と自分自身の両方に慎重に注意を向けることを学んでこそ、わたしたちはより十全な人となれる。ケアは負担が大きく悲しみのつきまとうもの、だが、それでも前向きに関わることができる。