第5章 人生にもっとスパイスを
活動的であるということは、人間を人たらしめるのに大きな役割を担っている。毎日同じような日々を送らなければならないとしたら?何もせず毎週すぎていくとしたら?それは、生きているのではなく存在しているに過ぎない、長く続けば人であるという実感を持てなくなってしまうかも。
”その人”は、できる限り活動的にしていますか?もっと多くの活動を提供できれば、その人はもっと気分が良くなり、あなたの仕事もさらに興味深いものになる。
混乱している人にできることはたくさんある。それを探し対応するのが、介護者の技がいるところ。持てる力を使えるよう手助けしなければ、脳損傷の進行よりずっと早くその能力は失われてしまう。「使わないものはだめになってしまう」
介護者ができることは「ふさわしい機会」を提供すること。できることできないことを考慮して、もっとやさしくした活動に参加してもらう。
例えば・・・
✔ 料理;ボールに入れる、混ぜる、こねる、切る、匂いを嗅ぐ、味見する、出来映えを自慢する・・・は大抵誰でもできる
✔ ダンス;音楽に合わせた動きはすべてダンス
✔ 花;眺める、見る、摘む、活ける、さわる
✔ ゲーム;テーブルゲーム、ボールゲーム・・・
✔ ガーデニング;草刈り、枯葉集め、土ならし
✔ 家事;混乱した人は全面的に介護してもらいたいのだと思われがち。でも本当は往々にして彼らは貢献したいと思っていて、必要とされ役立っていると感じたい、安全にできて、貴重品が壊れないように確認
✔ 音楽;音楽に関する能力と記憶は残る
✔ 外出;しばらく他の場所で過ごすのは楽しいもの
✔ 散歩;室内にいるのに比べいい気分転換
✔ ペット;ひどく混乱している人の多くはペットが大好き、ペットの方も往々にしてそれに気づいているよう
✔ 信仰習慣;お祈りの言葉。
知力が衰えている人は、困難・不便なことが多く、ほめられ励まされることをとても必要としている。
避けなくてはいけないこと;
✔ 失敗するとわかっている状況に置くのはやめる
✔ 混乱している人は抽象的な思考がもっとも苦手、これを多く伴う活動は避ける
✔ 介護者が主に積極的な役割を果たし、本人が見ているだけor本当に些細なことをするだけ、となる活動は避ける
“そんな私が“宣うのも どの口が言う、と怒られてしまいそうだが・・・
多分、この辺りに関わる”ケア“のありようで、介護施設の良し悪し・個性が大きく変わる部分なのだろうと思う。
大抵の場合、介護施設ではそれをレクで対応するというのが一般的なのだろうが、実際にどういうレクをどういう風にとなると難しい。
いつも同じ、いつも塗り絵、というわけにはいかない。では?
喜んでくれる入所者もいる一方で、必ずそうではない人もいる。どうする?
さらに、それらをどう個々に合わせる?言うは易く行うは難し?
しかも、時々に、それらは個々の介護士さんの対応次第という部分も大きい。そして介護士さんには流派がある・・・。
あの日のことが頭に浮かんだ・・・
カラッと晴れた秋の日、母の入所している施設で行われた和太鼓の演奏。それを野外で見学すべく皆で中庭に出た。隣のグルームホームの方々とも合流。介護士さん、そして偶々その日見舞いに来ていた私含め数人の家族、演者の方々で庭の長椅子を移動した。
その時・・・
合流した別の施設の方々はどうやらグループホームの人達らしかった。
一人の女性、80前後ぐらいだろうか、あれこれと手伝おうとする、椅子の位置を直すのを手伝おうとしたり、皆がきちんと着席したか気にかけたり・・・
おつきの介護士さんとおぼしき方が、
「大丈夫、それはこちらでするからね!椅子に座ってじっとしていて下さい!」
と指示をする。
(そんなにきつく言わなくとも・・・・)
自由に動かれて怪我をする、そんな事を回避するため注意しているのはわかる・・・。
ホームの中でも何かにつけて同じような振る舞いをそのおばあさんはしているのだろう。
それは容易に想像できるが、意味も無くわめいたりするような状態に比べれば、遙かに「大人しい」接しやすい入所者のようにも「部外者」には見える。
こんな時いつも、
(介護士さんも十人十色だなぁ・・・)
と思ってしまう。
”その人”は、できる限り活動的にしていますか?
混乱した人は全面的に介護してもらいたいのだと思われがち。でも本当は往々にして彼らは貢献したいと思っていて、必要とされ役立っていると感じたい。知力が衰えている人は、困難・不便なことが多く、ほめられ励まされることをとても必要としている。
どうだろうか?
それでも想像できうる部分もある。
介護者の目の届かぬところで不用意に動かれて不測の事態(怪我、骨折)となったら、こういう時代だから責任追及は避けたい・・・などという事以前に、そういった怪我、骨折は絶対して欲しくない、“その人“にはこれからも元気でいてほしい、そういう感情で介護者の頭がいっぱいになったとしても不思議なことではない。
では、プロのケアワーカーとしてどうするのか?そして施設としてどうするのか?
そして、介護士には流派があるのだ・・・。
ケアの世界は、計り知れないほど奥が深い。私の目にしたのはそのとば口に過ぎないのかもしれない・・・。
あおいけあというホームがある。
それは一つの方向性、あるいは形なのかもしれない。そして、それが完成形、と断言することも私にはできない。
- 「パーソンセンタードケア入門」を読んで・・・④へつづく -