母の様子を伺うため、私は病室に戻ることにした
どう?
どうって、ここはどこなの?
N病院。
N病院?聞いたことないねぇ。
骨折して救急搬送されたんだよ。
骨折?近くの砂利道で躓いただけでしょう?
いや、部屋で転倒してここに運ばれたんだよ。そして今手術が終わったばかりだよ。
手術!?聞いてないよ、そんな話。
まるで人体実験じゃないか!
・・・。
折れたものは仕方がない、何を言ったところでくっつくわけでもない。
お医者さんにお任せして、看護婦さんのいうことを聞いていれば前のようにすぐ良くなるよ。
会話には集中が続かないのはいつものことではある。
この日は更にも増して注意が散漫になっている様子・・・
母の眼球が小刻みに動くとき、その視線の揺らぎと共に 母の意識も一所に留まることなく移ろっている。
これが母の患った病の「症状」でもある。
この時も、母の意識は骨折云々から離れ、他の「案件」に向かっていた・・・
・・・ちょっと寒いんだけど!
今の今、母が心囚われた感覚-「寒い」が今の母には唯一無二の「案件」なのだ。
母は、あれもこれも複数のことを意識の中に置くことはできない。
痛い!と感じた時、あふれんばかりの「痛い」という思いで母の頭はいっぱいになる。
寒い!と感じれば「寒い」でいっぱいになる。
二つ同時に「痛い!そして寒い!」ということにはならない・・・のだろう。
母さんは寒がりだからね。でも暖房はしっかりついているようだよ。
手術が終わったばかりで、その影響があるかもしれないね。
パジャマがまくれて背中が出ているのかもしれないけど、手術したばかりの今、勝手に俺が直接触るのは危ないから、看護師さんにお願いしてみようかな?
わかったよ。
それとね、昨夜は夜中にずいぶん大声を張り上げて、皆さんに迷惑をかけたらしいよ。
そんなことはないよ。
多分覚えていないんだよ。母さんは欲求に対して理性をなくすところが昔からあるからね。
一番最初の骨折の時もそう、搬送先の病院で、夜間おしっこがしたいと声をあげ、なかなか看護師さんが来ないと大声で怒鳴り始め・・・看護師さんから怒られた。あなた一人じゃないんですよ、と。
そんなことあった?よく覚えてるねぇ。
母さんより若いからね。年相応の記憶力はあるよ。
そして、今回も・・・昨夜はすごかったらしいよ。
夜中にトイレに行きたければおしめの中にすればいい。骨折してるのだからトイレまで行くのは危険だ。それが、自分の下半身を触り、管を抜いたり、汚いティッシュを所構わず投げ捨てたり・・・
えぇ!
やだねぇ、まるで気狂いじゃないか。信じられないね。
母さんは、痛い、とか、おしっこがしたいっ、とかの欲求に理性をなくして辺り構わず主張する気があるからね・・・
いずれにしても、一人でここにいるわけじゃない、周りにも入院している人が沢山いる、夜中にあたりかまわず大声出したら皆さんに迷惑だからね・・・
わかったよ、大丈夫だよ。
(覚えていてくれるかな・・・)
それじゃぁ、今日は一旦帰るよ。
最寄りの駅は近いけど、肝心の電車は1時間に1本しかない・・・
くれぐれも夜は静かに頼むよ。
そうなの? すまないねぇ。今日はありがとう。
病室を出、ナースセンターにいた先程の看護師さんに声をかける。
今日はこれで失礼しますが、週末にまたお邪魔させていただきます。
母には先程の件を伝え、本人も了解はしていました。
ただ、それを記憶に留めておいてくれるか心配ではあります。
早足で最寄りの駅に向かう。
駅に近いというのはありがたいが、乗り遅れると次の列車は1時間後。
毎週訪れていた老人ホームと「交通の便」ではあまり変わりなさそうだ。
(つまりはこちらへの行き来も今までと変わぬ時間割で対応可能、ということか・・・。)
新幹線に乗り継ぎ、妹と施設長にメールをしたためる。
手術が滞りなく終了した事、どうやら母がせん妄状態にあり導尿カテーテルを抜いてしまう等々の問題が起きている事、等々手短に報告を入れた。
自宅付近の駅に向かうローカル線に揺られる頃には、
頭に浮かぶこともなくなり、窓の外を流れる街明かりを唯々ぼーっと見つめていた。
・・・そんなとき、
突然の振動にビクッとする・・・
着信だ・・・。
- 3度目の手術④につづく -