それでは新たに着任したケアマネージャーを呼んでまいりますので、少々お待ち下さいね。Kさんといいますが、Kさんは看護師でもありますので色々な面で頼りになるかと期待しています・・・。
母のお世話になっている”住居型有料老人ホーム”が、”介護付き有料老人ホーム”に変わるに際しての契約をこの日 施設長との間で取り交わした。
最近はもも裏側の痛みを訴えることもすっかり少なくなりました。
とてもお元気でひょいひょいと歩かれていってしまうことがあるくらい・・・
元気、ということ自体はうれしいことですが・・・歩行器使わず一人歩きして骨折、というリスクが上がってしまう、というのも考えものですね・・・
私は大丈夫、と変な自信を持つことが多いので心配です。歩行補助器さえ手放さなければリスクを最小限に抑えることできると思うのですが・・・
大丈夫だとは思いますが・・・
入所されている皆様全員に共通する事でもあるので、施設の方でもトイレに敷いてあったマットなど、そ転倒リスクを下げる理由から取り払ったりもしています。
お隣の男性の方がいい話相手となっているようですね。
はい、そうなんです。
お母様の家系には立派な方が多くいらっしゃるようでよくそんな話をされているようです。
う~ん・・・自慢話をしているときの母は機嫌がいいので黙って聞いていますが。話半分以下に受け取っておいた方がよろしいのではないかと。
それに、人からあなたは素晴らしい、と言われるのならまだしも、自ら「私は素晴らしい」などと言う性格は如何なものかと、個人的には思いますのでお恥ずかしい限りです。
妹さんは今も都心にお住まいなのですか?
はい、母との溝を埋める事は未だ難しいようです。
彼女にとっては学生時代に尊厳をいたく傷つけられたという事がトラウマとして今も残っているようなので・・・
こちらにもまだまだお伺いすることはできない状況だと思います。
そうですか・・・
ところで台風の折り、万全を期して早めの避難を決めて頂き有り難かったです。
いえいえ、今は何が起きるか・・・予想外のことが起きる可能性も念頭に行動しないといけませんし・・・理事長とも相談して、病院隣接の老健の方に人数分のベッドを確保し早めに避難できました。
こういった施設は夜間どうしても宿直者が手薄になりますし、そんな中 夜間に何かが起きて避難という事態は避けたほうが、と思いましたので。
おっしゃる通りかと思います。
それに、向こうに入所されている方々と合流することで、皆さん思いがけず会話が弾んでいたようで・・・現場はまるで修学旅行にきたかのような和気藹々とした雰囲気でした。
それは、よかったですね。見慣れぬ場所で緊張して騒ぎが起きる、等ということもなかったのですね・・・
では、そろそろ新任のケアマネージャーを呼んでまいりますね。
初めまして。Kです。
真坂です。母がお世話になります。今日はお忙しいところすみません。もう既に着任されているのですね。
はい。
それでは、お母様のことにつきましていくつか教えて頂いてもよろしいですか?ご主人様は今・・・
(ん?また、父がいるかのような話を母がしているのかな・・・)
父は既に亡くなっております。難病のALSでした。
当時は看病で母も大変でしたが、当時の事を母は全く覚えていませんし、なぜ亡くなったのかも記憶に留めてはいないようです。
そうなのですか・・・。
お母様のご兄弟は如何でしょう? ご兄弟の中でお母様が何番目だったとか・・・ご健在の兄弟様はいらっしゃるのでしょうか?
(あれれ・・・またお姉さんが生きているかのような話をしているのかな、母は・・・)
これは母自身から以前聞いた話ですが・・・
「あぁ、私も兄弟の中で一番長生きになってしまった」と言っていましたので・・・
他の兄弟はもう皆さんいないのだと思います。
そうですか・・・何人兄弟でいらしたのですか?
(これは・・・母との話がスムーズになるように家族構成、バックグランドの情報提供を求めている、ということかな・・・そういえばK病院に転院してきた日、K病院の看護師さんも似たような質問をしてきた・・・)
私も詳しくは知らないのです。ただ、一番末っ子だったということは母から聞いたことがあります。後日調べた上でご連絡しますので少々お時間を下さい。
それとこの施設入所に至るまでの経緯について、当時のケアマネージャーさんに文書で説明させて頂きましたが、同様のものをKさんにも後日お送りさせて頂きますのでよろしくお願いします。
母は外面は非常によいのですが、思い通りにならないと頑として聞き入れないところがあります。骨折で入院中にもぐらついた歯の抜歯云々で、気遣う看護師さんに「あんたが口をはさむ筋合いではない」と険悪な状況になったこともあります。
入院時にツムラのお薬を処方されたり、施設でデイサービスに通ったりすることで大分精神的に落ち着きを取り戻しているのですが、今後デイサービスでなく施設内でのレクリエーションとなった場合、果たしてどうなるか?という点が今現在は気がかりです。
わかりました。
今日はこのあとどうされますか?
ちょっと母を見舞ってから帰りたいと思います。
今日はまもなく和太鼓の演奏が横の中庭であるんですよ。別の施設と合流して皆で見学することになっています。
では、一緒にちょっとのぞいていきましょう。
では先に中庭の方へまわってらして下さい。私たちは入所者の方々と参りますので。
中庭側の出口で待っていると、何人かの入所者の方々に混じって母が出てくる。
あら、来たのぉ?どうしたの今日は?
いや、今日は和太鼓の演奏があるらしいじゃない。ちょっと見ておこうと思ってね。
中庭にはそろいの衣装をまとった演者の方々が準備万端といった風で待っていた。
一見したところ女性が多い。皆さん2~30代といったところだろうか?小学生ぐらいの男女もいる。
さすがに元気がいい、こういった場所での活動に慣れているのだろうか、施設から出てくる一人一人に明るく声かけをし、ベンチの移動やらまで手伝ってくれる。
合流した別の施設の方々はどうやらグループホームの人達らしかった。
一人の女性、80前後ぐらいだろうか、あれこれと手伝おうとする、椅子の位置を直すのを手伝おうとしたり、皆がきちんと着席したか気にかけたり・・・
おつきの介護士さんとおぼしき方が、
「大丈夫、それはこちらでするからね!椅子に座ってじっとしていて下さい!」
と指示をする。
(そんなにきつく言わなくとも・・・・)
自由に動かれて怪我をする、そんな事を回避するため注意しているのはわかる・・・。
ホームの中でも何かにつけて同じような振る舞いをそのおばあさんはしているのだろう。
それは容易に想像できるが、意味も無くわめいたりするような状態に比べれば、遙かに「大人しい」接しやすい入所者のようにも「部外者」には見える。
こんな時いつも、
(介護士さんも十人十色だなぁ・・・)
と思ってしまう。
ドーン ドン ドコ ドーン
演奏が始まった。
私は母の後ろの席に腰を下ろした。母の白髪の向こうに和太鼓を叩きながら舞うのが見える。
太鼓の響きに、共鳴して内臓が震える。
ドーン ドン ドコ ドーン
前の列左端にいる車椅子の男性がたどたどしく手拍子をしている。笑顔だ、横顔が見える。
母と同じユニットに住まう方だ。
身体が不自由で食事から全て介護士さんのサポートを必要としている。
母を見舞いに行く時間帯はいつも食堂に居り、「こんにちは」と声をかけるが、障害があるが故それに言葉が返ってくることは無い。
この日初めて、男性のそのような笑顔を見、少々驚いた。
そして私は少し恥じていた。
この場に居ながら、そのような気持ちを共有することができていなかったからだ。
ドーン ドン ドコ ドーン
見回すと、先程の80前後ぐらいの方がしきりに涙を拭っている横顔が見えた。
感動しているのだ・・・。
「泣くことないでしょう?」おつきの介護士さんの声かけが途切れ途切れ耳に入ってくる。
ドーン ドン ドコ ドーン
どう?懐かしいでしょう?
母がふり返り私に尋ねた。
「そうだね」とは応えた・・・
でも、私には場違いのような、一人だけこの中で取り残されたような・・・そんな感覚から私は脱却できないでいた。
ドーン ドン ドコ ドーン
私は驚いた。
母が、目頭を拭うような素振りを見せたからだ。
目の前の、薄くなりかけた、白髪の頭部、その向こうでティッシュでしきりに「そのあたり」を拭っている・・・。
ドーン ドン ドコ ドーン
どう?懐かしいでしょう?
また母が振り向いて私に聞いた。
「そうだね」と応えるしかなかった・・・。
なぜ、あの男性はあのような笑顔を見せたのか、なぜあの女性は、そして母は涙まで流したのか・・・
帰りの新幹線の車中でずっとそれが気になった。
家に着くなり何度も検索してみた・・・施設+和太鼓、認知症+和太鼓・・・。
一つだけわかったこと・・・
和太鼓の演奏・演舞を見て感激する、涙するお年寄りが少なからずいる、
ということ。
なぜ、感激するのか・・・
それはわからないままだ。
「どう?懐かしいでしょう?」
と母は聞いた。
それは相づちを求めたのだと思う・・・
そう、懐かしかったのだ。
それほどまでに懐かしいものなのか・・・
それはわからないままだ。