日曜は始発で里帰り。
そんな生活が続いている。
施設での母との会話は1時間程度。
それと往復にかかる時間だけ比べれば非効率の極みと言えなくもないが、その1時間を省いた時のことを考えるとそうせずにはおれない、そういう「判断」が私を毎週突き動かしている。
施設の方も、いや、施設長の方も日曜日ごとに私が訪れる事がなかば「想定内」化しつつあるように感じられる。
まことにもって不思議なことに、母自体にも週替わりで様々な、ちょっとした問題が起こる。
そんな偶然?もあって、タイミングよくあれこれ準備したものを持参するようになっている。
施設長に色々職務以上のご協力もいただき、微力ながらも指示されたいくつかのことを補助していくことで施設での生活が穏やかなものになるのであれば、それはそれで、「うまいこと回転している」と言えなくもない。
K病院退院時に行われたサービス担当者会議で、私がそれまで毎週見舞いに訪れていることを知り出席者皆さん共に驚かれた(その反応を見て私も驚いた・・・)が、他のご家族は、どういう状況なのであろうか?
穿った見方をすれば、私の母は、他の方々に比べ身の回りでより多くのことが起きてしまうような、一風変わった入所者なのだろうか・・・ふとそう思うことがある。
私が度々訪れねばならぬような困り者なのかな、と。
日本人は人と比較するのが好きな民族だという。
民族、と言ってしまうと大風呂敷になるが、隣近所との比較ばかりに明け暮れていた、そんな母が、そしてその実家がある郷里が、嫌で嫌で、早々に家を出た私だ。
今更この期に及んで自らの母を他の入と比較するなどということがあってはならない。
ましてや、比べたところで意味がない。
母に会うなり聞いてみた。
なに、メガネが壊れたんだって?
そうなんだよ。
俺も今まで何度壊し、交換したことか。
昔よくやったのは、メガネをしたまま寝てしまい、気がついたら外れて体の下敷きになってペシャンコに・・・
あははは、そうなの。
私のは多分ネジが外れたんだよ。ネジを締めれば元に戻ると思うよ。それなのに、誰かが持って行ってしまって・・・。
大丈夫だよ、先ほど受け取ったから。取り敢えず持ち帰って、修理できるか調べてみるよ。
そこでだ、メガネがないと困るでしょう?
小さな文字はもう見えないねぇ。歩き回る分には必要ないけど・・・
そこで、父さんのメガネがあったので家から持ってきたよ。
あらっ、そう?
それは気がきくねぇ。でも、父さんのメガネじゃどうかなぁ・・・
(それをかけて度が合っている、と数ヶ月前言っていたことはもう記憶にないんだな・・・)
昔、それをかけて丁度いいと言っていたのを思い出したんだよ。まぁ、時間が経っているから今はどうなのかかけてみないとわからないけどね。
ものは試しだ、かけてみてよ。
そうなの? どれどれ・・・
あれまぁ、こりゃ、ハッキリ見えるわ!これはいいねぇ。
取り敢えずは急場凌ぎになるでしょう?
ただ、一応は遺品だからね、メガネをかけたまま寝てしまうことないようにきちんと保管しておかないと。
そうだね、気をつけるよ。
家へ持ち帰り、壊れたというメガネをケースから取り出し眺めてみる。
メガネのテンプル部分が丁番手前で割れているように見える。拡大してみると、ネジが抜けたのではなく、ネジ穴の外側が割れていた。
何か強い力がそこに加わったのだろう。細く華奢な構造に見え、修理となると難しそうだ。
全く新しいものを作るか?
まともに作るなら眼科検診から始めねばならない。
訪問サービスのあるメガネ屋というのもあるが、多分「そこまでして欲しくはない」と言うのだろう。
レンズの度数を測定し同じレンズを作ってもらう手もあり得るが、最終的にはレンズ以外の部分の調整が必要になり結局なにがしかの訪問サービスを頼むことになるのだろう。
ただ、細かい文字を見るため、というのなら、適当な老眼鏡を調達する、というのもありか・・・・
そこで、思い出した。
例の居間にあるこじんまりとした書棚の上に、老眼鏡セットが手付かずのまま放置されていたことを。
多分、妹が母のために用意し、それがそのままになっているのだろう。
試してみる価値はありそうだ・・・
今度見舞う時のネタはあの老眼鏡だな・・・そう思った。
1週間後、あの放置されていた老眼鏡セットを施設の母の元へ持ち込んだ。
この前、父さんの眼鏡を渡したでしょう?
ああ、あれ、えぇ~と・・・
愛着があるのか決して手元から離そうとしない古びた、そして(ここが一番の問題だが)ポケットの多いバッグを取り出し、一つ一つポケットを探り始める。
母のいつもの、お約束の、所作だ。
しまい込んでは、それを忘れ、忘れては、探す。
探しては、見つけ・・・それを何度となく繰り返す。
保険証も、現金、財布、印鑑、タクシー割引券、ハンケチ、ティッシュ・・・。探し物には事欠かなかったあの頃。
「探し物の種」はとうの昔にそのバッグから姿を消した。
骨折で運び込まれた救急病院での手術、そのタイミングで全て抜き取り家へ持ち帰った(当人了解の上、だが・・・今母の記憶の中にそのことは残っていない)。
施設に入所してからも、母がトイレに部屋を出たときなど、母の目を盗んでそのバッグをチェックしている。
それでも、何かしら詰め込まないと落ち着かないのか、各ポケットには、ティッシュ、ボールペン、施設のパンフなどが入っていることを私は知っている。
そして、「実家の住所」を書き留めたメモ書きがあることも・・・。
あったあった、これ。
そうそう、それ。それも一応、遺品だからまた壊してしまったらまずいでしょう?家でこれを見つけたんだけど、試してもたらどうかな、と思って・・・
度数別に一つ一つ試着してもらう
運良く、母には+3.0が「合う」ようだ
あぁ、これはよく見えるねぇ。
それはよかった。それを普段使いにして、父さんの方は「いざというときに」使うようにしてしまっておいたら?
そうだねぇ。
かくして、「メガネ壊れた」騒動は一応収束をみることとなったが、この騒動の結果一つ得られた収穫がある。
あれもこれも色々母のために揃えてきたが、何一つ使われたことがない、と口癖のように不満を漏らしていた妹、
彼女が揃えた「老眼鏡」が今回役に立った、母に使われることになった、という事実だ。
これは早速知らせておこう。
冷え込み凍り付いた母への思いを解かすには些細な出来事ではあるが、一つの事実ではある。
今更仲良くして欲しいなどとは思わぬが、いつの日か、それを彼女が悔やむような日がきてはいけないと思うので。