それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

古びた写真 ①

 

f:id:masakahontoni:20190610095444j:plain母と同年代の方々は皆そうなのか、母特有の性分なのか、ものを捨てる、ということがほぼ無い。

身の回りのものはもちろん、どこぞの景品で貰った他愛のないものまで、そして中には使えなくなった電池まで保管?してある。

家の整理、実家の片付け、で問題となる一つが「物の多さ」だと聞いたことがある。必要なものとそうでないものを整理・処分するのに途方もない時間・手間がかかるというのだ。

真坂家しかり、だ。

いつの日かそういう時が来たとして、さあ、片付けを、という問題が表面化したら間違いなく私は途方にくれるだろう。

 

”いつの日か” がいつになるのか、なんてことはわかるはずもない。そんなことに関係なく、ちょこちょこ整理の真似事でも少しづつ始めておくべきじゃないか?

実家のメンテ、維持を図りながらも、「そもそも誰がここに住もうが、住むまいが、使いそうもないものは処分しておく」ことを始めなければ・・・、時々にそう思うようになった。

 

 

実家の居間に背の低い書棚がある。

実は、洋室にも大きな書棚があるが、そこには在りし日の父の本が整理されるでもなく日焼けしたまま 長い間放置されている。でも母がそれを利用することはない。

使い勝手がよかったのか、居間にある方に母は様々なものを保管していた。

 

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母が常々使っていたその”背の低い”書棚を整理中に写真が3枚出てきた。

1枚はカラー写真で父が一人、残る2枚(白黒とカラー)にはそれぞれ母が一人で写っていた。

 

どこかの旅館のものか、父は浴衣を羽織り、そういったところに備え付けの椅子に座りこちらを見ている。笑みこそ浮かべていないが表情は穏やかだ。

 

直感した。

 

f:id:masakahontoni:20190610132724j:plain遺影にはこの写真にあるものが使われたのだ、と。

 

ある日突然の知らせを受けて以降 断片的な記憶しかなく全ては想像になるが、それでも 父亡き後のあらゆる手続きは全て母が行ったことに十中八九間違いないのだろう。

そう、遺影にどれを使うかも母が決めたはずだ。

ならば、母なりに"の”想い”のあるものを選んだのではないか、それがこの写真なのだろう。

 

f:id:masakahontoni:20190610095945j:plain母の写真は、1枚が白黒、もう1枚がカラー写真。

白黒のものは当然ながら相当昔、女性の年齢を推し量る能力が決定的に欠如している私にも、それが20代前半、もしくはそれより更に若かりし頃に撮られたのであろうことはわかる。

写真館で撮りました、というお手本のごとく、花瓶に挿した花の横で 斜に構え すました母がすっと立っている様が、年代物のせいか若干ぼんやりと写し出されている。

カラーの方は30代あたりではなかろうか・・・。こちらは野外、川に渡した橋の欄干といった風のものを背に母が写っている。

おぼろげながらバックに写っているのは一般的な商業ビルというよりも、起伏の富んだ地形にある温泉街がそうであるように高さの揃わない数階建の建屋が並んでいるように見てとれる。

父のものとは違い、こちらは意識的に多少微笑みを作っているように見える。丁度、「はい、チーズ」の「チ」の表情。

昔の写真とはこういうものなのかもしれない。ここで母がピースサインでもして口を開けてアハハといったポーズだったら逆に私は腰を抜かしてしまうのだろう。

 

あぁ、もしかすると・・・

 

人様の年齢推し量るのは即座に無条件降伏する私にも、勝手な想像を膨らましつづけることならできる。

 

二人で温泉旅行でもしたのだろう・・・

 

f:id:masakahontoni:20190610122551j:plain案内された部屋で母が撮った父の浴衣姿


温泉街を散策した途中で父が撮った母の写真

 

そんな気がした。

 

そして、何十年か後、父は難病を発症し、母の介護を受けながらも世を去った。

そして今・・・難病だったことも、介護が辛かったことも、印籠を渡したのが実の息子の私だったことも、母の記憶にはもう無い・・・。

 

本棚で見つけた母の写真2枚。それを施設の母の部屋にあるコルクボードに貼ってみたらどうだろう?


昔のことを思い出すのだろうか? あるいは昔のことを話し始めるだろうか? そんなきっかけになるだろうか?

 

- 古びた写真 ②へつづく -

 

回想法とは、昔の懐かしい写真や音楽、昔使っていた馴染み深い家庭用品などを見たり、触れたりしながら、昔の経験や思い出を語り合う一種の心理療法です。1960年代にアメリカの精神科医、ロバート・バトラー氏が提唱し、認知症の方へのアプロ―チとして注目されています。

昔の思い出は、高齢者の方が今まで歩まれてきた人生そのものであり、昔を懐かしんで話をされている時は、自然と穏やかな表情になっていらっしゃることでしょう。語り合う相手がいれば、喜びや幸せな気持ち、大変だった経験を乗り越えてきたことも一緒に分かち合い、充実した時間を過ごすことができます。楽しかったこと、辛かったこと、家族や友人とのエピソード、生き抜いてきた社会的背景など、人それぞれ過ごしてきた時間は異なります。今までの自分の人生を振り返り、人生を再確認することで、現在の自分も肯定的に受け入れやすくなります。昔の思い出に親しむことはごく自然なことであり、回想法は今の自分を認め、人生を豊かにするための手段のひとつとも言えるでしょう。

出処: 回想法 | 健康長寿ネット

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