それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

ケアマネさんへ。<お知らせしておきたいこと>・・・②

 

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f:id:masakahontoni:20190430082659j:plain2)適切な見守り

2度目の骨折ではありますが、今回の骨折は前回とは全く異なるものです。利き足の膝下、脛骨、腓骨両方を折り、腓骨はそのまま、脛骨には中に髄内釘を入れたままの状態です。再度同じ部分に転倒等で衝撃が加わり内部の金属が曲がってしまいますと大変な事態となります。

本人は患部が痛いわけでもなく、リハビリも車椅子から歩行補助器での2足歩行に移り、すっかり治っているかのような気分でいるようです。そのため、ちょっとしたところで補助器も使わず移動しようとして看護師さんに注意も受けているようです。

昼間は自ら歩行補助器を使いトイレに行っているようですが、夜間はベッド脇に設置された簡易トイレで用を足すよう指示を受けています。また、母は血圧も高く170~180程あるようで、現在は薬を服用し140程に下げているようです。振り返れば、今回の骨折も、早朝自宅でトイレから戻るときに敷居の僅かな段差に躓いて転倒した、と本人は言っております。

母はそろそろ帰れるのではと内心思っているかもしれませんが、見舞いの度にレントゲン写真を見せ、1度目の骨折とは違うこと、今度転倒・骨折したら取り返しがつかないこと、救急病院から現在リハビリ病院に移り、そのリハビリの目処がついたら療養するための場所がK病院のとなりにあるからと、大昔なら温泉で湯治といった療養を1年がかりでしたのと同じように、生活習慣、食生活、全てに渡りじっくりと直していかなければならないから決して安心してはいけない、看護師さんの言うことをきちんと聞かないといけないと繰り返し伝えています。

何処に移ろうが、100%転倒しない方法などないとは思いますが、それでも独りで勝手に補助器も使わずに動かないように伝え続ける、必要はあると思います。(当人には記憶し続けることが難しい部分もありますので)

 

3)食生活

自宅では宅配業者を使い食品類を購入していましたが、何度繰り返し言い伝えても、偏った食事、不規則な食生活を変えようとはしませんでした。結局好きな揚げ物類、あるいは甘い副食品、が多かったようです。

最近は介護食(やわらか弁当)なども通販で調達できるので、試してもらおうと何度か手配したこともありましたが、いっぱいに詰まった冷凍庫の下の方に埋もれていました。

変形性膝関節症からくる痛みが膝部分に有り、それともあいまって殆ど外出しない引きこもり状態が続いていました。体型も痩せ型ではありませんし、外出もしないことから当然筋力も衰える。きちんとしたバランスのとれた食事もとらない。全てが負の回転を助長するような環境下に居たと思います。昨年奥歯3本が抜け落ち 以後固形物(固いもの)は食べられないと言っていましたが、現在K病院で頂いている食事についてはしっかり食べている、食べることができているようです。故に、K病院と類似のものを今後も頂けるような環境に身を置くことは、基本的なところで母には重要なのでは、と思う次第です。

 

4)“居住”環境

母は社交的な性格ではありません。肉体上・精神上の問題が現れる前から、極々近い近隣(隣近所)の方と受け身的な接触しかなかったと思います。

何十年と顔をあわせてきたご近所の方と、代わり映えのしない、いつもの通り一遍の話題ではなく、“より新鮮な刺激が脳に加わるような”より多くの人達の中で、新しい話題、新たな会話ができるような環境に、今の母のような状況の人こそ身を置くべきだ、と思うのです。

母は今でも内心では、独りで気ままに暮らしたい、人にあれこれ言われるのでなく・・・自分の世界で、と考えていると思います。それでは駄目だ、と思うのです。それでは、あの、夜な夜なあちらこちらに電話をかけまくっていた(今回の骨折で実家の管理をするようになり、郵送されたNTTの請求明細書で知りました)に戻ってしまうどころか、さらなる認知症の進行に拍車をかけることになってしまうと。

昼は外へも出ずぼんやりとコタツに座りながら時にうとうとしながら過ごす。夕刻迫ると集中力衰え、様々な不安が襲ってくる。ふと頭をよぎったあること無いこと(大抵の場合、「ない事」)に気がとらわれてしまい電話を方々にかけ始める。独りでいると くどくどと悪い方へ悪い方へと思い悩む・・・悩んでは忘れ、思い出してはまた悩む。 

元々あったそういう性格が、認知症という症状で増幅され、更にそこにうつ病までもが合わさったようなあの状態にみすみす戻すことがあってはならない、というのが偽らざる私の今の心境です。

母は「人によく見られたい」という気持ちが人一倍強く、所謂「ええかっこしい/見栄っ張り」でもあります。それだけに、現在のような共同生活(周りに誰かしら他の人がいる)では、自分をよく見せようと振る舞う、それが“うまい具合に”精神上の安定につながっている、と思います。

「A施設」で今の私が、一つ気がかりな点といえば、「個室である」ということです。母が個室にこもりきりになる、という事態は避けたい、そう望んでいます。言い換えるなら、「昼と夜の“めりはり”」ということしょうか?

昼はしっかり起きて活動(おしゃべりでもレクリエーションでも)し、夜はしっかり床につく。病院なら、夜は何時から何時まで、朝は何時に起床とはっきりとしためりはりが有り、共同生活の中であるならば(人目も有り)当然母はその日常習慣にならって生活することになるからと思うのです。​

(以下略)

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