《要介護認定を受けている期間内に心身の状態が変化した場合、認定の区分変更を申請することができます。》・・・自治体サイトより
その調査面接日の前日に私は郷里入りした。常宿となりつつある”駅前のホテル”に今回も宿泊予定。
明日の朝早くに、と予定していたのを急遽変更。ホテル入りする前に実家へと急いだ。日が落ちてからのごそごそは避けたかった。
なんとか日没1時間程前に到着。まずはお隣さんの郵便受けに"お便り"を投函、これでしばらくはそっとしておいてくれるのでは、という期待を込めつつ。
実家の門を開ける、ポストを確かめる、1,2階のエアコンで送風ON、台所、洗面所、風呂場、トイレの水を流す(通水作業)、仏壇等の水を替える、と一連の作業をそそくさと済ませ、戸締まり確認、電気消し忘れないか確認、そして実家を後にした。
- 調査面接当日 -
夜が明けた。快晴だ。それでも外気は冷たい。”いつものホテル”をチェックアウト。最寄り駅まで移動しバスに乗り換える。
面接時間より30分余り前に最寄りの停留所に到着。ここからK病院まで10分とかからない。
丁度いい機会だ
と思った。
K病院にはいくつか併設されている施設、老健、グループホームA、B、老人ホームA、B、がある。グループホームは満床、老健、老人ホームAには空きがある、ということも知っていた。
ちょっと回り道をしてその老人ホームA、Bとやらを外から眺めておこう。ふと、そういう思いになった。
回り道といっても大したことはない、数分足を伸ばせば行き着く距離だ。
住宅街の細道を抜けると目の前が開ける。丁度K病院の裏手になるのだろうか、そこには田圃が広がっていた。その中に隣り合うように二つの施設が建っている。外観は殆ど変わらない。古い施設のようには見えない。
あぜ道のようなところまで入り、別方向から眺めて見る。
静かだ・・・
物音一つしない
それぞれの駐車場には3台程の車。多分職員の自家用車だろう。
人が居るのは確かだ
でも気配はない
かといって、キャーとかうわぁ~とか聞こえてきたら、それはそれで一大事ではある・・・施設とはこんなものなのかもしれない、少なくとも外から見る限り。
「初めての見学」は数分で終了、K病院へ。
母はまた別の部屋に移動していた。部屋番号とともに掲示された名前の並びからすると4人部屋の一番奥だ。
ドアは開いていた。入ってすぐのベッドに横たわる方とまず目が合う、軽く会釈、中ほど二つのベッドには誰もいない。
さらに一番奥へ進む。
そこに母はいなかった。
ベッドメイキング中の職員の方に尋ねる。
多分食堂では、と聞き廊下を戻る。そこは先程通り過ぎた廊下脇にある開放された、あの食堂兼簡易談話室といった場所。
病室へ向かう時気づかなかったのは、母が向こうを向いて座っていたからだろう。
何やら向かい合い二人で楽しそうに話し込んでいる。
やあ。
あら、よくこの病院がわかったねぇ。
いやいや、先週もきたでしょう?今日は介護保険の面接日ですよ。
えぇ?そうなの?
(この反応は想定内)
先週中頃役場から連絡あったんだよ。役場からK病院にも連絡を入れておくと言ってたけどなぁ。
最初に骨折した時も転院先のT病院で面接したでしょう。同じだね。
もうそろそろ時間だから部屋に戻ろうか。すいません、お話の途中・・・
どうぞどうぞ
楽しそうに話していた相手は、転院後初めて入った病室でお隣だった・・・そう、あの鼻に吸入用のチューブを入れた痩せた元気なおばあちゃん・・・元気すぎるのもねぇ、と娘さんと思しき方が苦笑いしていた、あの方。チューブをつけていなかったのでそうとわかるのに一瞬間を要した。
器用とまでは言えないが、母は自ら車椅子を操りる。その後ろにつき病室へむかう。
うまいじゃない。押してあげてもいいけどやめておくよ。出来ることは自分でやった方がリハビリになるしね。
そうだね。
病室入り口に掲示の名札を確かめつつ母は進む。自分の部屋番号はわからないのだろう。名札を確かめて行けば間違えることはない。
自らのベッド脇に車椅子をつけ介助なしにベッドに移る。そういう経験のない私よりは はるかに上手に違いない。
この前、車椅子に座っているとお尻が痛いと聞いたので今日はこれを持ってきたよ。
車椅子専用の座布団っていうのがあるんだね。裏が滑り止めになってるらしいよ。”マサカ”と名前も裏側に書いておいたから、早速、車椅子につけておくよ。
クッションの分だけ高くなるから、初め離れないかもしれないけど。
ヘェ~そんなのがあるんだ。いや、ずっと車椅子に座っていると痛くなるんだよ。
歳をとるとお尻の肉が薄くなるっていうからね。
その後、いつものように、お父さんは、いやもう、ああそうだった、という会話が展開され、そろそろ時間かな、という間際にK病院の相談員が現れる。
今日はご苦労様です、面談が終わりましたら一度事務室の方へお立ち寄り願えますか。
わかりました。
そして入れ替わるように役場の調査員と思われる方が入室してくる。多分相談員の方が病室前まで案内してきたのだろう。
挨拶もそこそこに、面接開始。
これまで2度経験した過去の調査面談同様、母は饒舌だった。
最初の骨折時転院先での面接、その更新時、そして今回が3度目。面会の次第段取りは大凡いつも同じ。違うのは母の作話or思い込みの類いがさらに増えたこと。
それにしても、ちょっとわかりません、と答えることなど母の想定問答集には無いのだろうか・・・そこまで取り繕わなくてもと私には見えてしまう。勿論、母にその意識はなく、本気でそう思っている・思い込んでいる、のかもしれないけれど。
そういう意識が当人の自覚するところにはないにしても、奥深いところにある心情が許さないのであろうか、心理的に。
繰り出されるエッというような応えに面接員が窮し口ごもること数回。
プロの調査員を口ごもらせた母が上手(うわて)なのか、はたまた、調査員の方がまだ駆け出しなのか、私にわかるはずもない。
当然ながら、私はことの成り行きを見守ることに徹し口を挟むことはしない。気づいたところを黙々とメモにとる。私に念押ししたいのだろう、時折母の目線を感じるが私が助け舟を出すことはない。
ここはどこですか?
〜町X目です。(←実家の住所)
どうやって来たのですか?
歩いて来ました。
それがね、病院と書いてあるのでびっくりしちゃって。どこも悪くないのにここにいていいんですか?と聞いたら皆さん満面の笑顔でね、皆さんどうぞどうぞ、と言ってくれたのでここに居居るんです。
今まで怪我とか病気とかしたことは?
いいえぇ、それが人一倍健康で医者には縁がないんです。
ここではどんな治療を?
詳しくは聞いていませんけど、足のこことここに切った跡があるので、何かしたのでしょうかね。
ご主人は?
それがいつ頃亡くなったのか、どうして亡くなったのかよくわからないんです。いつの間にかスーッと。
トイレはどうしていますか?失礼ですが、おしめとかされていますか?
いや、自分で行っています。
こんな具合だ。
支離滅裂と言えば確かにそうだが、流石に夫が亡くなっている、ということはつい先程の私との会話で”予習”済み、となっていたから そう答えられたのだろう。
これまで過去2度の面接(今回は3回目)で思い知ったのは、要介護認定の判定に認知症の「程度」は余程の状態でもない限り、あまり加味・考慮されない。あくまでも肉体・身体上、どの程度の介護が必要とされるのか調査するもの、ということ。
この程度のアレレな話が母から出たからといって、それが母の要介護度を判断するにほとんど考慮されることはないはずだだ。
それでも、面談後ちょっとよろしいですかと、調査員にお願いし廊下傍の長椅子で気のついたところは全て訂正を入れ、これまでの経緯も合わせてお伝えした。
- 返答した年齢が1歳違う
- ここへは私と介護タクシーに乗ってS病院から転院した
- 少なくとも前回見舞いに来た時点では、昼は自ら車椅子でトイレに行き、夜はベッドサイドの簡易トイレで用を足していた。
- S病院にに搬送されて間もなく 家に帰ると看護師さんを慌てさせ、その後漢方薬など処方され落ち着いているのが現在。
- ここに至るまでの経緯。
- 今後施設への入所を考えている。医師からも独り住まいは限界という点で一致している。
- 家に一人でいるのと、こういう場所でいるのでは、母の受ける不安感という点で雲泥の違いがある。
等々、矢継ぎ早に訂正個所を挙げ連ねる私の言葉を 調査員の方は次々とメモにとっていたが、少々早口過ぎた感は否めない。
それでは、あとは看護師さんに色々確認してみます
ということで、調査員とはそこで別れ、私は病院事務室へ向かった。
- 介護認定の調査面接に臨む@K病院 ② へ続く -