持ち込んだ諸々のものを看護師さんがチェックした後、別室へ移動。医師との面談となった。
ほとんどはこれまで何度かそれぞれの医師との面談で聞かれたこと、答えたことと大きな違いはなかった。
先ほどお母様とお話しましたが、ご主人が~にお勤めになっているというようなことを口にされていましたが・・・?
はい、父は既に60半ばで他界しております。
少々お時間を頂いてよろしければ、これまでの経緯をご説明させて頂きたいと思います・・・・実は・・・
(これこれしかじか <=最初の骨折前後の状況~物忘れ外来受診拒否~夕暮れ症候群~地域包括センターに相談~脳活の集い~夕刻の電話攻撃~デイサービス拒否~妹への電話攻撃~火の不始末、徘徊等々なにかことが起きてから慌てるのでは遅い、こんな症状・事態になったら施設入所を考えるべきという親戚からの助言~では具体的にどうなったらそう決断するのかの迷い>)
なるほど、色々なことが積み重なったタイミングでの骨折となってしまったわけですね。ご存じかと思いますが、こちらは地域包括ケア病棟になりますので、一定期間、リハビリをもって回復・復帰を目指すという場所になりますが、今後はどのように、とお考えなのですか?
1回目の骨折の時も入院中に物忘れがひどくなり、退院直後に物忘れ外来を、という経緯をたどった経験をしておりますので、今回、それも、前回よりも大きな骨折とでより長期間の入院の恐れがある中、認知症が更に大きく進行してしまうのではないかと心配しています。
搬送されたS病院でも入院直後は「ここは何処なの?家に帰らなければ」と言い出し、看護師さんから通報を受け、電話で気持ちを取りなした、そんなこともありました。
それでも、S病院の担当医が「ちょっとした漢方薬なども処方していますが今は大丈夫」と言うように、その後は、問題を起こすようなこともなくなりました。
これは確かに、一軒家の独り住まいより、本人も認知症の対応をして下さる施設での方が安心して過ごせるように見えますし、今回の骨折のこともあり自宅ではなく施設で、と考えています。
確かに抑肝散が処方されているようですね。もう一つの方は・・・実際に服用されていたのかはちょっとわかりませんが・・・。
特に環境に変化があったときは感情の起伏が大きく出やすいので要注意だと思います。当院でもこの1週間は注意して見守る必要があると考えています。
入院が長引けばその分身体機能が衰えがちと言わざるを得ず、一方でご高齢ということもあり、一旦衰えてしまうとなかなか元の状態まで改善することが難しくなる場合もあります。
ベッドでの時間が長くなると様々な部分に問題が起きる可能性も大きくなります。
〈入院関連機能障害、リロケーションダメージ、廃用症候群、といった言葉こそ出なかったが大凡それに類するお話があった→こちら↓を参照〉
重篤な症状となった場合、様々な対処方法がありますが、どこまでどういう対処をするのか・・・延命治療についてお考えはありますか?
60台半ばで他界した父ですが、難病のALSでした。その時も医師の方と「どうするか」について意思表示をする、そういう経験をしました。その場は母と私で対応しましたが、母はその後数年程、あの時はあのような判断でよかったんだよね、と繰り返してはいました・・・それでも、当人自身そういう思いであると私は考えていますし、私自身も当人の意思表示もないままに様々なところに穴を開けたり、強制的に栄養分を入れたり、無理矢理になにかを口から挿入される、そういう処置よりも、あくまでも本人の与えられた・定められた生命力の範囲内で全うしてもらいたいと思っています。
そうですか、よくわかりました。それと、宗教上なんらかの制約などはありますか?
いいえ、ありません。
面談の後、病室へ戻る廊下の途中、看護師さんが
お母様、昼食を皆さんといっしょに食べていただけたようです。息子さんもいっしょに食べればいいのに、と言ってたみたいですよ。
いやいや、私が食べてもねぇ・・・
苦笑いしながら病室に入ると窓際のベッドには昼食を済ませた母が横たわっていた
そこへ、(多分)50〜60歳ぐらいかといった風の娘さん(←これも多分)に脇を抱えられるようにして年老いた女性が入ってきた。隣のベッドの方だ。見たところ80代か(繰り返すが、私に女性の年齢を推しはかる眼力はない)。
今日転院してきました真坂です。よろしくお願いします。
あぁ、そう!それはそれは!こちらこそよろしくおねがいします!
大きくはっきりとした声でそう応えてくれた。随分と痩せており、鼻に酸素供給用のチューブをつけている。
いやぁ、元気な方が隣でよかったねぇ、母さん!
このやりとりを横で見ていた娘さん(とおぼしき方)、
でも、元気すぎるのもねぇ・・・
と、私に目で合図をする。
多分、認知力の衰えからくるものはあるのだろう・・・
この病室のお二人はとても元気なんですよ〜。もう一人の方は、この病院で一番歌が大好きな方で、有名なんですよ〜。
そういえば、先程から食堂の方向から歌声が聞こえてくる。それが相部屋のもう一人、院内で一番歌が好きという女性なのかもしれない。
一曲歌い終わるとまた次と聞こえる歌声が途切れることがない。スイッチが切れることなく鳴り続けるジュークボックス、それが延々と”懐かしのメロディ”を流し続けているかのようだ。ただし、このジュークボックス、音程にかなり難ありではある・・・
まっ、それもご愛嬌だろう。怒ったり、怒鳴ったりといった周辺症状に比べれば、十二分に許容の範囲内だ。
母さん、元気な人たちばかりでよかったねぇ。これは、ぼーっと天井見て過ごすなんてとてもできそうにないぞ!
結構本気で私はそう思い、それをそのまま口にした。実際これは歓迎すべき環境だ。
人間ある程度歳をとったら、気難しい性格の人より脳天気な人の方が幸せ、というのが母に繰り返し言ってきた私のおきまりの台詞だが、あははと笑いながら楽天的に毎日過ごせるのなら その方が高齢者は幸せに決まってる、本気でそう思っている。
結構面倒な性格で気難しい側面ある自分自身、天が高齢となるまで私を生かしてくれるなら、アハハと笑いながら穏やかに、周りのことなど気にもとめず、のほほんと暮らしてみたいものだ。(そのためには健康でなくちゃ・・・というのはある。)
ブログにこの日のことを書きながら、気がついたことがある。K病院では、「認知症である」のが普通なのだ。院内でそれは特別なことではない、半ば一般的なことなのだ・・・母のいる病室しか未だ知らぬのに大胆な想像だが。
そう、むしろ私のような者の方が少数派で、ここでは異質の存在なのだ。異邦人たる者、郷に入っては郷に従うべし。流れを乱してはいけない。そこに馴染むように気遣うのが当然なのだ。ほとんど全ての車が時速10Kmで走行しているところに 何処からともなく合流した者が60Km走行を試みることなどあるはずもない。
この病院で良かったのかもしれない、そんな気がした。
- 転院先に到着 ③につづく -