それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

手術前日

郷里には手術予定日の前日に入った。最寄り駅側にあるホテルに予約も入れた。

 

駅前でバスに乗り換え役場に向かう。介護保険証の再交付申請の為だ。

f:id:masakahontoni:20190219114309j:plain申請書類はネットでダウンロードしたものに必要事項を書き込み持参。受付でそれ以上行うこともなく、申請は即受理された。そしてその場であっという間に新しいものが交付。5分もかからない。

 

f:id:masakahontoni:20190219114746j:plain紛失したものが後からでてきましたら、紛らわしいので、又個人情報という点からも、シュレッダー等で処理の上廃棄して下さい。

 

役場の窓口も慣れたものだ。

万事が全てこんな感じなら楽なのに・・・。

 

 

帰りの足を気にする必要はない。今日は駅前のホテル泊まりだ。

私は実家へ向かった。

 

まずはゴミ出し。

明日が可燃ゴミ回収日だと自治体広報で調査済みだ。”あの”可燃ゴミをようやく処理できる。出すものは既に袋詰めして玄関の三和土に置いてある。

集積所との間を何度か行き来しようやく全ての包みを運び出した。

 

ポストを確かめる。

いくつかのDMと思われる封書に混じり、メモ書きされたB5程の大きさの紙が入っていた。

「水道メーターの検針に伺いましたが門が閉まっているため入れませんでした」とある。

記載されてある連絡先に電話を入れ事情を説明した。今回は暫定的に過去の使用量から導き出したもので代用し、2ヶ月後の検診日まで時間をもらうこととなった。

 

郵便物等の管理は大切だ。新聞の類いは休止したが、日常郵便物は日々たまっていく。そのままにすれば、「この家長いこと留守がちだな」と”誰かの”目にとまってしまう恐れもでてくる。

そして今や、

”少なくとも”当分空き家となる実家。

ならば、生ゴミなどの処理は勿論、防犯上のことも考え、貴重品(とおぼしきもの)は全て引き上げておこうと今回は考えての帰省でもある。

 

どこに何があるのか事細かく掴んでいるわけではない。それでも、この数十年間変わらず”置き場所”となっている所を記憶を頼りに探ってみる。貴重品とは、預金通帳、キャッシュカードといった銀行関連、土地家屋関連、生命保険関連、そして金融機関からの通知(手紙等)関連、診察券、身分証明書等だ。

 

f:id:masakahontoni:20190219115722j:plain先日、妹からの「現実的で下世話な話し」も受けてはいるが、だからこのような行動に至っているわけでもない。

ただ、あのような投げかけを受けている以上、後日整理した内容を妹に連絡する必要はある。

(妹からの「現実的で下世話な話し」がなかったとしても、内容連絡はする(付け加えるようにここに書き記すこと自体 本意ではない)が・・・万が一にも兄姉間の確執など御免被りたいと心底思っているので無用の誤解・邪推を受けるような”不用意”行動は厳に慎むべきとも考えている。)

キャッシュカードとおぼしきものはなかった、いや見つけることはできなかったが、それ以外のものは一通り、”それらしきもの”を包みに放り込み、実家を後にした。

 

駅前のホテルには食事をする場所がない。駅近くにコンビニがあるが、どうせよくある弁当とインスタントものしかないのだろう。ならば、と私は実家近くにあるスーパーに寄った。あのイートインで夕食を済ましてしまおう、そう思った。

f:id:masakahontoni:20190220160759j:plainそれにしても、コンビニ然り、スーパー等で売られる惣菜~弁当は なぜに皆”揚げ物”主体になるのか?結局それが安心安全ということなのだろうか? 高温で揚げておけば痛まない? カツ、コロッケ、牡蠣フライ、鰺フライ、天ぷら、唐揚げ、揚げ物のオンパレードだ。

 

私の住まい近くにある場末のスーパーで偶に遭遇する高齢者がいるが、腰が曲がりいつもがっちりとしたシルバーカーを押している。

あるとき店の奥から「誰か~」という か細い声が私の耳に入ってきた。レジにいる店員は気づかない。

「誰か~」。又聞こえた。さして広くもないその店の奥に行ってみると、あのおばあさんだった。

f:id:masakahontoni:20190220135658j:plain「こ、ここが・・」と手押し車に両手で掴まりながら幾分顔を上げる様子が見て取れる。でも、腰が曲がり私の目線より遙かに低いところの表情はうかがい知れない。

何が起きたのか一瞬戸惑ったが、よくよく見ると手押し車の前輪が冷蔵庫/ショーケース下の突起部分に引っかかり動きがとれずにいるのだということに気づいた。

「ちょっと待っててね」

と、はまった前輪をそこから外す。

「有り難うございました」

無理して顔を横に上げ私を下から見上げるように礼を言うその人に、礼には及ばぬと

「いいえぇ~」

と返し、その場を後にした。

 

商品をショッピングカートに入れ、レジに並ぶと先ほどのおばあさんは支払いを済ませ、店員がその弁当を電子レンジに入れているところだった。

確かに、その姿勢/体勢からして設置されたレンジからの出し入れは至難の業だ。

程なくして温め終了の合図がレジ界隈に響く。

チ~ン

いつものように?レンジ前であの姿勢のまま”待っている”おばあさんにレジの店員が声をかける。

今行くから ちょっと待っててね!

レジを打ち終わった店員がそそくさと歩み寄り、レンジから温め終わった弁当を取り出した。

f:id:masakahontoni:20190221095910j:plainこれが結構大きな幕の内弁当のように見える。それを一度に食べるのではないこと、そうすぐに想像できた。2~3度に分けて食べるのだろう。そう、あれが一日分の食事なのだ。

店員は、慣れた様子で取り出した弁当を、あのシルバーカーの荷台に入れた。いつもそうしているかのように。

 

高齢の単身者はコンビニ、スーパーの惣菜、弁当に頼る人が多いと聞く。目の前に展開しているのも、まさにそれなのだろう。これから益々同じような光景がそこかしこのコンビニ、スーパーで当たり前のように繰り広げられることになるかもしれない。

このやるせない気分は何?どこから来るのだろう?

 

ところで、揚げ物主体の弁当を三度三度食べることが「安心安全」なのだろうか・・・そういう思いがいつも私を悩ませる。カップラーメンで済ますより、菓子パンで済ますより、その方がマシなのかもしれない・・・確かに。

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飽食の時代と言われる今、栄養失調の高齢者が増えているという。

いや、高齢者に限ったことではない。

三度三度その種の弁当を選択せざるを得ないこの現状、その一方で「健康長寿」を連呼する声は益々大きくなっている。 安心安全? 本当に?

いつもそう思う。

 

買うものがない・・・

いつもそうだ。スーパーの中を2周3周し、これもまぁ歩数稼ぎにはなるかと思いながらめぼしいものを探すが、買うものがない。出来合いのものには、これなら、と思うのものが全くといっていい程「無い」のだ。

結局、食材を買い求め、自炊、となってしまう。いくら面倒でも、だ。神経質になればなるほど許容範囲は狭まっていく。

 

これで勘弁してくれないかな、ともう一人の自分に言い聞かせこの日買ったのは寿司。イートインでそれをたいらげ、 妹にメールを送った。

 

f:id:masakahontoni:20190218171516j:plain明日は手術前の母を見舞い、術後5分以内でと制限されている面会に臨む予定。又時々に連絡を入れます。

 

外はもう暗い。そして郷里に吹く風は冷たい。早くホテルに戻りたい。