それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

「ちょっと気がかりなことが・・・」from 包括さん

そろそろ包括さんに連絡せねば、どう連絡すれば、と思っていたところへ連絡が入った。
 
 
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担当者からの報告で、気になった点があったのでご連絡します。
いつものように、脳活の集いの方へお誘いの電話をかけたところ「子供たちも帰っていないし、夫は付き合いの飲み会があって帰りが遅い。家を空けるのが心配なので、出かけられない」と話されたそうです。
風が強く寒いので、無理をさせなくてもと判断し、迎えには行かなかったそうです。いつもなら、自分で歩いて参加することもありましたが、今回は欠席でした。
脳活の集いのご利用後数ヶ月経過しましたので、先月、その評価をかねてということで伺いました。その際、デイサービスの話しもしましたが、受け入れてはいただけませんでした。現在の集いが2月終了となるため、今後の関わりをどうしていくか検討中です。

 

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ご連絡有り難うございます。

夕刻、時間かまわずの度重なる電話に閉口し、私の方から毎週日曜日に連絡入れる状況が続いていますが、昨今は妹の方へ類似の電話が度々かかるようになったようです。(私へ電話しても通じないので、通じる妹の方へ、ということなのでしょう)

10日ほど前、妹から「電話の内容がおかしい」と連絡ありました。私と父が妹のところへ行っているのではないか?急にいなくなったので、何処へ行ったのか心配している、といった内容だったと。

以前から(=私に夜な夜な電話をしてきた当時から)、話の中身が夢うつつのような とりとめのないもの多く、また、実家へ帰った際など母の様子を見ていると、日が暮れるにつれ疲れたような表情となり、明らかに昼間のそれと比べ認知力・集中力が衰えているように感じました。

父は難病のALSで亡くなっておりますが、何ヶ月も前から母は父の死因については全く覚えていない状況でしたが、”父が生きているかのような"話をしたのは初めてです。

これは認知症の症状がまた進行したのではないかと、ある程度の覚悟を持って1/13、1/20とこれまで2回 母と言葉を交わしていますが、昼間ということもあるのでしょう、至って、けろっとした様子で、”父さんそちらへ行っていないか”といった類の言葉は出ませんでした。

直近の1/20には、自らの年齢の話になり「この前仏壇の位牌を色々見ていたけど、私の家系の人たちは皆長生きなんだねぇ。それが、お父さんの方は皆結構早いんだよ。お父さんも60代で亡くなったでしょう?やはり家系ってあるのかねぇ。」と話していたくらいでした。

ただ、同時に、おかしな話しもしておりまして、「今日はカレーライスを作ったよ。暫く食べてなかったから、肉をたくさん入れて結構な量を作ったよ。まぁ、お二階にいる人の分もあるしね」と、誰もいない二階に誰かがいるかのような一言がでたので、やはり症状の幾分かの進行はあるのかもしれないと思うようになりました(想像に過ぎませんが)。認知症の人の言うことを真っ向否定するのは相手を興奮させることもあるのでよくない、とも聞いておりましたので、その話題については特に「母さん何言ってるんだい」などと責めることもせず、「あの急な階段で二階へ上がったり降りたりしてると、足を滑らせ骨折する危険があるから二階へは行かないように」と話題を変えました。

前後しますが、妹の方へ私と父親が行っていないか?とおかしな電話をしてから間もない1/13昼、私から母への電話の際にも、その種のおかしな話しが繰り返されることは全くなく、これまた至って「けろっと」した様子でした。

デイサービスについてですが、私が母と話すことは、母自身が引きこもり状態で何の新しい話題もないことから毎度お決まりの内容になっておりますが、それでも必ず私の方から投げかけているのは、B通のデイサービスを早く試した方がいい、ということです。

昨年12月までは;

-歯医者があるから

-ご近所は誰も行っていないから

-脳活の集いに行っているから

-遠いので

-寒いから

と、「行きたくない、行けない」理由が時々に返ってきましたが、今月は、少々軟化したような印象を受けております。

  • 歯医者があるから→部分入れ歯既に完成。歯医者通いの必要なし。
  • ご近所は誰も行っていないから(=私は元気)→「人それぞれ違う。私の周りのお年寄りは皆さん積極的に利用している。住まいのあるX丁目あたりは私から見れば「引きこもりX丁目」。世の中の状況は全く違う。病気の人が行くのがデイサービスではない。健康な人が、能力維持のために行くのがデイサービス。
  • 脳活の集いに行っているから→「脳活の集いも、内容があまりおもしろくない」と言い始めたので、「それはそうだ、通い続けて慣れてしまったんだよ。新たな刺激・話題を求めて行くのに、慣れてしまったら感激も少なくなるというもの。新たな刺激・話題作りのためにもB通のデイサービスに行った方がいい」と言う私に「確かにそうだねぇ」と言い始めていました。
  • 遠いので→「車で行きも帰りも送り迎え。実際歩く距離から見れば、今の脳活の集いより近いし、道に迷うこともない」と言う私に、これも確かにそうだ、と納得。 
  • 寒いから→これも、冷暖房完備の車で送り迎え、と私に言われ、なるほど、と「その場では」納得。

「恥ずかしいなら一緒に行こうか」、と言う投げかけについては、大丈夫だよ、その気になれば自ら包括さんにお願いする、とそこだけは断られています。

年が明けて包括さんに会ったのか?と聞くと、今年はまだ家では会っていないけど、集いでは顔を見かける。でも忙しそうだから。と1/20には言っていました。その際も、1/15は出席して今年もよろしくと皆で挨拶した、1/22も行くつもりだ、とはっきり返事するのを聞いていたので、今回1/22に行かなかったというのに若干驚いています。

果たして「おもしろくないから、面倒だから、行かない」ことの理由をつけようと、寒いから、そして夫は云々という「作話」に至っているのか、はわかりません。(一つ気がかりなのは、それが夕暮れ症候群の時間帯に言うのでなく、真っ昼間に、と言う点ですが・・・)

一方で、夫が、と切り出せば、皆さん納得するだろう、自らの体面も保てるだろう、という単純な思いからくるものなのかもしれません。(それが私達側から見て、すぐにおかしいと判断できる内容であることに、その場で本人が気づく能力・認知力・判断力まではもう持ち合わせていないであろうと思いますので)

f:id:masakahontoni:20190122202515p:plain本人も物忘れが激しくなった、という自覚はあるようで、私の前では決まって「私は人より元気で医者いらず」といった風だったのが、1/20には珍しく「私も歳なのかねぇ、色々覚えていられなくなって・・・」と漏らしていました。

このときとばかり、「家でゴロゴロ引きこもりがつづくと、年齢によらず、足腰は弱り、頭ももうろうとしてくる。歳はとっても、使っている限りは能力を維持できる。物忘れが激しくなったと思うなら、それを防止する方法はただ一つ。外に出て刺激を受けるしかない。何十年も付き合っているご近所さんや、馴染みの八百屋に行ったところでお決まりの人とお決まりの話しでは何の刺激にもならない。日頃会わない人と新たなことを話すから脳活になる。脳活の集いも通い続けて新鮮味が薄れたようなので、今こそB通のデイサービスにお試しでもいいから行った方がいい。風邪なら薬を飲めば治る、でも物忘れのなくなる薬はない。外に刺激を受けに行くことだけが、物忘れを防止する唯一の方法だ」とたたみかけた私に、

「そうだね、包括さんの話しだと皆さん昼ご飯が楽しみで来てるって言ってたよ。」と応え、「昔もらったものを読んだけど、毎日6時間授業形式で国語、算数、とかあるらしいけど・・・」と続けてきたので、(どうやら別のデイサービスと混同しているようなので)「それはB通のデイサービスとは違うやつだね、B通のデイサービスは授業のような小難しいことはやらないと思うよ。もっと楽しいと包括さんが昔言っていたよ」と付け加えておきました。

いつも歯がゆく思うところなのですが、その様な心持ちをどの程度の間、母が持ち続けていられるのか、というのが問題で、(もともと出不精で消極的な性格とも相まって)その日その日の気分で、ああ面倒だな、と思ってしまえば、有り体な理由(私の想像ですが)をつけて、包括さん達からのお誘いにも首を縦に振らない、そういう状況ではないかと思えてなりません。

 

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このブログを書きながら、さてどうしたものか、このことを親戚のTさんに伝えておいた方がいいものなのか、そんなことを今考えている・・・。