それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

「終のすみか」と「高齢者ホーム」

いざそのときになって慌てることのないように、という方向は向いているつもりでも、では、”いざそのとき”とは具体的にどういうときなのか、未だ決めかねたままでいる。

かといって、やがて到来する日が来るであろうことは否定できないのに、ただ母の病状を見守るだけ、という焦りにも似た感情。

そんな狭間で半ば妥協点であるかのように手に取った本がこれ。

高齢者ホームの探し方

 

著者は、「NPO二十四の瞳」主催者。この種の本を手に取る方は多分
1)親の老後をどうするか悩んでいる
2)年老いた親に適当な施設を今探している
3)自らの老後の住まいは、という思いがある
のいずれかで、主に1、2の方々が大半なのでしょう。


ただ、著者は3)の方も対象としていると記しています。問題が差し迫った方々でなくとも、確かに「現状を理解しておく」助けにもなると思います。

 

高齢者ホームと言われどんなイメージを皆さんは持つでしょうか。どうも、母の世代の方々にはともすればそれが「姥捨て、爺捨て山」かのような印象をもっているように見えます。


「私たちの頃は皆家で最後を看取ったけどねぇ」、と何気に母が言ったのを今でも覚えていますが、出生率も、平均寿命も、家族形態も、時代も違う”母達の頃”と今を比べるには、状況が違いすぎますし、受け手となるホーム側も、介護制度自体も、当時とは違うor違ってきた?、はずです。

では、今の人呼んで「高齢者ホーム」には、どんな物があり、なにが違うのか、おぼろげながらも説明できる人がいるとすれば、それは中の人以外あり得ないのではないか、そう思ってしまうほどに紛らわしい。

特別養護老人ホーム(特養)

老人保健施設(老健)

介護療養型医療施設(療養病床)

介護付き有料老人ホーム

介護付きサービス付き高齢者向け住宅(介護型サ高住)

グループホーム

ケアハウス<特定施設>

小規模多機能型居宅介護施設(小規模多機能)

住宅型有料老人ホーム

サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)

ケアハウス

シルバーハウジング

等々・・・

 

これだけある様々な「高齢者ホーム」。前提としての違いは確かに存在し、その違いを杓子定規に区分け説明することはできるのでしょう。ところが同種の「ホーム」でも実状は違ったり、そればかりか、責任者の違いで、その運営内容が実は違っていたり、そうしたらどうでしょう。もしかして、よもや、と入所を検討している側の不安どおりの世界がそこにあるとしたら・・・。

(実は、この本、それら様々ある「高齢者ホーム」それぞれについてその違いを明らかにしようとするものではありません。故に、そのような資料を探している方に、この本は購読するに適当な対象とはなりません。)

ところで、高齢者高齢者と言いますが、同じ65歳でも、そうは見えないはつらつとした方もいれば、事情により手厚い介護が必要な方もいます。果たして、今現役世代の方々が、いざ高齢者と呼ばれる世代になったとき、そのときどういう状態に自分があるのか、それは予想できません。

だからこそ、健康なまま年を重ねられるよう努力をしながらも、それなりに衰えてゆくであろう自らの(or自分達夫婦の)未来の住まいについて思いを馳せることは決して無駄ではない、と母を反面教師としようと決めている私には思えるのです。

人により個々の本から得るものは違いますし、評価も異なって当たり前かと思いますが、巷でこの本に対する評価が高いのは、入所を検討している側の不安・迷い、それを少しでも明確にするためのアドバイス・助言が記されているところに理由があるのだと思います。

とは言え、この本の発刊は2015年、ここ数年の間に「高齢者ホーム」を取り巻く環境に様々な変化があってもしかるべきなわけで、それは理解の上読み進める必要はあります。

にもかかわらず、この本の指摘する部分が未だに「高齢者ホーム」業界に依然として脈々と残っているのであろうと思うとき、やるせなさを感じてしまうのは私だけではないでしょう。

最近よく耳にするサ高住、お上の定めた補助金・補助制度により企業側が力を入れた結果、乱立気味の状況下にあるようですし、入居者側から眺めるに、それが通常の集合住宅・マンションとの差がさほど無く(=いかにも高齢者向け然とはしていない)、敷居も高くないとなれば、現在介護云々とはゆかりのない方々でも老後(とりあえずは定年後、もしくは65歳以降)の住まいとして益々一般的な住まい選びの対象に入ってくるように思えます。

(この本は、実際のところそういう方々より、年老いた親の入居先を検討されている方々が主たる対象のようにも見えますが)

過去「問われる”覚悟” 今思い出すこと」の中で紹介した「元々は横浜に住んでいたけど、主人もいなくなり、一人なので思い切ってこちら近くの高齢者用施設に入ったの。早い方がいいと思って。」というあの方・・・のような生き方がとても素敵だと考え、親たるもの(いや、人たるもの)果たして”その時”をどう迎えたいのか、そしてどうしてほしいのか、元気なうちに話しておく(話し合っておく)ことが望ましいと思っている、-そういう私からすれば- 至極この本の訴えるところには(ごく一部を除き)納得できるものです。

 

本書は月10万~30万のサ高住を中心にそれらの抱える問題点を厳しく指摘していますが、同時にこうも記しています。

✔騙す方も悪いが騙される方も悪い

✔終のすみかは人生最後の大きな買い物にもかかわらず、購入後の納得感が余りにも低い最大の原因は、購入者の準備不足にある

図らずも”土壇場”での終のすみか探しとなり、慌てて行き当たりばったりで業者と相対すると「こんなはずではなかった」結果となる確率が高くなる。そういう事態を避けるには、入居予定者がその住まいに何を求めるのか、妥協できるところと譲れないところ、を前もって具体化する必要がある。

入居予定者がこれから高齢期を迎える世代であったなら、多分、様々な準備も、また、業者との交渉も、覚悟と時間があれば、それなりにこなすことができるでしょう。

では、その入居予定者が年老いた親であった場合はどうでしょう?更に、事情によりその親が介護が必要とされる状況下にあったら?何を求め、何を妥協し、何を固持するのか。そして何よりも、当の本人自身の思うところはどうなのか?

年老いた親であれば、「終のすみか」という意味合いが更に現実的なものとなる可能性が出てきますが、その「終(ツイ)」にどのような対応ができる業者なのか、のみならず、当の本人がどのような「終(ツイ)」を求めているのか。

これは施設に限ったことではありません。以前、触れたアドバンス・ケア・プランニング、今の日本ではほとんど浸透していないと想像しますが、「元気なうちに」話し合う、話しておく、そういう環境が私たち含むこれからの世代にはもっと浸透して欲しいな、と思います。

参照元: 「『最期まで自分らしく』思いをかなえるために」(時論公論) | 時論公論 | 解説アーカイブス | NHK 解説委員室

 延命治療は?胃瘻は?認知症と思われる症状が出たら?終のすみかは?予算は?といった部分にも触れ、果たして子が親の面倒を見るのは当たり前なのか、というところまで若干であれ踏み込んでいる部分が、だからこそ、私にはこの本がしっくりくる理由なのかもしれません。

高齢になっても、俺の運転は大丈夫だ年寄り扱いするな、と言いブレーキとアクセルを間違え事故を起こす人、歳をとれば皆同じ私はどこも悪くない、と受診を拒む私の母のような人、そういうことのない未来であって欲しい、そう思うのです。

確かに、時代が変わり、高齢者ホームは「姥捨て山、爺捨て山」とは異なる世の中になりました。でも、未だに、「収容施設」的側面が拭いきれません。

日本の高齢化率は世界最高と言われます。でも、健康寿命と平均寿命の間に約10歳の差があるようです。その10年を過ごすところが高齢者ホームとなってしまうのなら、それは「終のすみか」なのでしょうか?

 

付け加えになりますが、この本では最後に「覆面調査結果」を公表しています。

トップ3は順に、ワタミの介護A施設、メッセージ(アミーユレジデンス)B施設、ベネッセスタイルケアC施設。ワースト3は、ニチイ学館R施設、ベストライフQ施設、総合ヘルス・ケアP施設となっています。

勿論、現在はどうなっているのかアップデートが必要でしょう。また、ワタミのように、介護事業から撤退した業者もあります。更に、気をつけねばならぬのは、同グループ傘下でも施設ごとに評価が変わりうる点も念頭に置かねばなりません。

一読して益々、「高齢者ホームは奇々怪々」との印象を強くした、というのが正直な感想です。

多分、次に手に取る本は、冒頭で箇条書きにした数種類の、人呼んで「高齢者ホーム」、それぞれの規定上の違いについて、例えば、こういうケースはこの種の高齢者ホーム、といった部分について書かれているものになると思います。

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