先日の件↑、その後・・・。
どのような経緯で、母があのような事実と違う話しをする状況になったのか包括さんに質問したところ;
先日お伺いしてお話しをさせていただいた時、テーブルのそばに大きな封筒が何部かあったので、気になり確認しましたところ「親戚の者が勤めている病院からで、健康診断をしているので書類が送られてくる」と伺いました。
それと、23日火曜日もご自身で集いには参加されたこと確認取れましたのでお伝えしておきます。
という返事が返ってきた。それが事実と違うのは勿論ですが、距離から見ても到底母にはそこへ通うことさえできないのは自明にもかかわらず、「健康診断をしているので」と言ってしまう(もしくは考えてしまう???)。
あれ、それちょっとおかしいな、と自ら気がつくこともない。そんな母がうかがい知れる状況。
あまり聞きたく無かった内容です。
私も少々微に入り細に入り包括さんに聞きすぎた、いや、ああではないか、こうではないかと、詮索しすぎたのかもしれません。包括さんからは、さらりと至ってシンプルな応答だけが返ってきた次第。
現場で間近に見守るプロの方、と遠距離でああだこうだ言う私とは、見ているポイントがすれ違ってあたりまえなのかもしれません。
時々に連絡を取り、隙間が開きすぎないよう努める事だけは怠りないようにしよう、と再認識しました。
そして、日曜日のご機嫌伺いの電話で聞いた「歯が抜けたので16日の集いには参加しなかった」というその母の記憶は事実ではなかったことが、先の包括さんとのやりとりで判明したので、
ということは・・・なんと・・・今月は現在まで一度も欠席することなく通所サービスを受けている、ことになります。
母の言うことを調子よく真に受けてしまった私の勘違いとなりましたが、いい方に転んだのだからGood Newsなのでしょう。
こういう小さな事(?)に少しでも喜びを見いだすようにしなければ、いけないのかもしれませんね。私自身がストレスで萎えてしまっては元も子もありません。
そんな中、こんな↓ニュースも何の因果か目にしておりまして、
ストレスは百害あって一利なし。
でもストレスそのものをなくす事は無理。
となれば、やはり如何に軽減するか、それが益々大きな課題になってきた気がします。
一方で、包括さんから提案のあったこの件、
ご親戚に認知症に詳しい方がいると伺っておりますが、その方がお母様と面談したり、お話を聞いていただく、といった事は可能なのでしょうか?
その文言そのまま添付し、親戚のTさんの意向を伺ったメールに早速返答がきた。
関係する誰もが同じことを言って、上手に、タイミングもみて治療に仕向けて行くことでしょう。本人が苦痛・困難を覚える・訴える時は一つのチャンスでもあり、そうした機会を利用して、受診なりにつなげられたらいいと思います。有用ならば、私にも相談していてと伝え、早めにーすでにそうではないのでしょうがー治療、服薬を促してみて下さい。
なるほど、本人がSOSを口にした時が一つの大きな機会、というのは、彼岸帰省の際に包括支援センターで行った面談の席でも包括さんから出た話と共通しています。では、果たしてその機会がいつ、となると予想だにできませんが。
一方、「関係する誰もが同じことを言って、上手に、タイミングもみて」については今すぐ「では、こうしましょう」というものが浮かんではきません。少々、向こうの景色が見えづらい、いや、見えない位の高さの山なので、今現在の私には。
包括さん提案の、間に入って、という提案については、名前を使う程度なら、というお応えでした。
これまで、母の状況は時々に連絡をし、その中でそのような”空気感”は感じていましたので、私自身は特に驚きもないのですが、果たして包括さんはどういう風に思われるのか、「関係する誰もが同じことを言って、上手に、タイミングもみて」について何か意見を出して頂けると有り難いのですが。
余談になりますが、併せてTさんからは私の抱えるストレスに対し;
本当似さんも、ストレス発散も工夫されますよう。あれこれ考えるより体を動かしてしまうと、身体コンディションの変化(心拍数、血圧等)に伴い、精神状態も変わってきますよ。まずは、歩いてみる等、お勧めします。
というお言葉まで頂戴してしまった・・・。
自らの意識以上に、外からうかがい知れる私の精神状態が今までとは違って見えていたのかもしれません。
これは益々気をつけないと。
そんな私の頭に、21日のご機嫌伺いの電話の向こうで母が発したあの言葉がこだまする・・・
何でそんなに神経質な子に育ったのかねぇ?
<おいおい>
まさに・・・おいおい、だ。