振り返れば、8/26日(日)の母からの電話で急遽帰省することになり、このままこのようなことを繰り返していては事態が益々悪化するのではという恐怖心があった。
物忘れ外来をいっこうに受診しようとしない母に、所轄自治体の認知症ケアパスを使えるなら違う展開が開けるかもしれない、と翌朝(月)に地域包括支援センターに電話をした。
それで母の病状が正式に判明し、明らかになるであろう今後の治療の方向性をもって、介護施設入所が可能なのか含め検討しようと思っていた。
遅かれ早かれ、という表現は乱暴だが、他に浮かばないので敢えてそう書きますが、認知症の進行をくい止める、という絶対的な処方が無いのであれば、母が右も左もわからなくなってから、もしかすると私が誰かもわからなくなってから、いや、そうならずとも、近隣の人々にご迷惑(最悪、火の不始末、という可能性も念頭に)をかけるような事態になってから、そう、いかんともしがたく、せっぱ詰まってから、さぁどこへ入所したら、と考え始めるのでは遅い、と思っていた。
もちろん、その場合、受けるであろう母の大きな抵抗をどう乗り越えるのかという途方もなく大きな山が控えていることは念頭に置かねばならないのですが。
昨年末、少々遠方のお寺さんに神棚にまつる達磨さんを頂きに向かったときの出来事。
列車を乗り継ぎ到着した駅で、お寺行きのバスに乗り換えようと駅前ロータリーのバス停まで歩っていくと、向こうにあるバス停とバス停の間をうろうろと行き来する初老の女性がいた、私に女性の年齢を言い当てる才能は全くないが、年の頃70代。果たしてそこが目指す方面行きのバス停なのか迷っているという。
「あぁ、それでしたらこのバス停ですよ。私の訪ねるお寺さんと同じ方向ですから。」
「あぁ、そう。それはよかった。」
と同じバスに乗車することとなった。
車中では、席も離れていたこともあり特に言葉を交わすことなく、ほどなくして、私はお寺さん前の停留所で下車。
「それでは、お気をつけて。」
「はい、どうも。」
それで、終わるはずだった日常良くある風景。
達磨はそもそも母のために、と思いその日はお寺さんにお参りしたが、昨年同時期、折しも母が骨折入院中時、も同じように頂いたものを神棚に祭っていた。
退院した母には、それを指さし、
「これは、あなたがもう骨折しないように、とお寺で念じてもらったもの。二度と骨折しないよう自分でも気をつけて。」
と帰省の度ごと伝えていた。
この時も新年迎えるにあたり、約1年ぶりに新しいものを授かりにお参りした。前回は初めてという事もあってか、百観音巡礼の時以来だろうか、写経も携え本堂で一応の般若心境も唱え達磨を頂いたが、今回はそそくさとお参りを済ませ達磨を頂き帰途についた。
お寺に着いてから小一時間は経過していたが、大抵の郊外のお寺がそうであるように、帰りのバスはそう簡単には来ない。待つより近隣の駅に歩いた方が(近くはないが)手っ取り早い。前回同様、袋に入れた達磨片手に最寄り駅まで数十分歩いた。
さて、駅には着いたが次の電車までまだ十分ほどある。待合室、といっても窓口も改札も猫の額ほどの同じフロア、の、そこにあった椅子に腰をおろし時計の針が進むのをただただ待つ。
と、表に滑り込むように止まったバスの気配。次の電車がそろそろとはいえ、降りる人はわずか。一人だけこちらへ歩いてくるのがガラス越しにわかる。
待合室と外を隔てるガラス戸が開いて初めてわかった。
「あれ、また会いましたね」
「あれ、ほんとに」
お寺さんまでのバスに同乗した先ほどの人だった。
そこへ電車の到着を知らせるアナウンスがあり、他待合い客とともに、滑り込んできた電車に乗り込んだ。年末ということもあってか、場所柄にしては混み合っており、その女性がどこに座ったのかはわからなかった。
数十分で乗換駅着。ここからまた電車を乗り継がねばならない。片手に持った達磨はかさばりはするが重くはなく、全く気にはならない。
階段を上り、また下り、すでに停車していた電車に乗り込んだ。こちらは空いており、荷棚に達磨を入れた包みを乗せ、長椅子の真ん中にどかっと腰を下ろした。前方に目をやると、
「あれ、またお会いしましたね」
「ほんとに偶然ですね」
空いた車内だったこともあり、今回は発車時刻までしばらく言葉を交じわせた。
「こちらにおすまいなんですか。」
「いえ、今日は達磨を頂きに。」
「わたしは、ちょっと友人に会いに。元々は横浜に住んでいたけど、主人もいなくなり、一人なので思い切ってこちら近くの高齢者用施設に入ったの。早い方がいいと思って。」
「そうなんですか。」
ああ、こういう人もいるんだ、と思った。自ら、先を思い、前もって事を起こす。すてきな方だと思った。
なぜうちの母は、とは思わなかったが、自分もそうありたいと、自分が描いている方向とさほど変わらないと、一人納得していた。
「それではまた。」
と言葉を残し、その人は二駅ほど先で電車を降りた。
そのことを、なぜか、今でも覚えており、なぜか、今それを思い出している。
親戚のTさんの言葉にもある、本人の思いを尊重して、という前提を拭い捨てることはとても難しいが、一方で、「いざ事が起きてから」腰を上げて果たして問題はないのか、という疑問。そして、ある程度(いや、その程度、が問題なのだが)前もって心づもりも含め、準備をしないと、かなりまずいのでは、という焦り。
性格的に、事を起こすのは、遅いより早い方がよい、途中で方向転換もいとわない、というのが自分の性分・・・自分のことならその性分に沿えばそれでよし。ただ、これは、自分のことではなく、母という別人格のこと、勝手の違う迷い道。
結局いつかは誰かが決めなければならないのだ、そして決めるのは誰なのか、という瀬戸際「辺りに」にもうきている、のかもしれない。