それ 認知症かも

認知力の衰えを頑なに否定する年老いた母。それを反面教師に自らのこれからを考える息子。

妹へのメール 2018/08/16(木)”母さんは認知症かも”

2018/08/16(木)

 妹へのメール

 

『帰宅しました。

母に伝えた内容を送信する前に、もう一通メールを送る必要が生まれました。

 

以下、あくまでも私が思うに、ですが;

MCIの状態から、母は別の段階に移行したようです。認知症を発症してしまった(様に見える)ということです。

 

先々日は、午前中に墓参りを済ませ、帰りがけ母が好きだという焼きそばを買い、ともに食しました。

昼食後、時間があいたので、このタイミングかな、と思い、"ちょっと折り入って話がある"とその時間となりました。

母は部屋隅に置いたこたつ台に向いて座り、私はその母の背中をみるような形でソファーに座りました。

まず、計画していた動画を見てもらい、私の居住地域で配布された介護に関わるビラを読んでもらいました。

そして、例のものを読み上げました。

 

母を背中側から見る限り、ではありますが、動画を所々うなずきながら見、ビラを頭から最後までぶつぶつとごく小さな声を出しながら読み終えた母。その後、私が読み上げる手紙にも何一つ声を出すことなく聞いていた"ように"見えました。

最後に頬のあたりを掌でこすったのが、単に汗ばんだからなのか、後ろから見ていた私にはわかりません。読み終えた私に反発するでもなく、"その"時間は終わり、"そういうことだから"、"わかった"とだけお互い言葉をまじわせました。

 

"まあ、とにかく引きこもりではしょうがないよ"、"自ら一歩先に出ないと、何もかわらないよ"と言う私に、"いや、プールにもまた早く行きたいと思ってるんだ"、"近所の集いにもどんなもんだか今度聞いてみようと思ってるんだ"という母に、"あなたの 思ってるんだ話 はもう耳にたこができるほど聞いてきたので、早いこと 実際行きましたよ話 が聞きたいものだ"と返しながら、その後とりとめもない話の後、私は夕飯用の弁当を買いに外出。途中、マクドナルドから前回のメールを送信した、と言う経緯です。

 

ここまでは前置きです・・・肝心なのはここから。

 

夕方5時近くに戻り、部屋でTVを見ようとすると、母が私に聞いてきました。

 

"ここにあるビラは何だね?"

"それは私が今日話をするに丁度いい内容だと思い、さっき母さんに読んでもらったやつだよ"

"??? いや、初めて見るけど"

"おいおい、頼むよ、ちょっと読んでみて、そうすれば思い出すから"

(ちょこちょこと目を通し) "いや、初めて見るねこんなもの"

"さっき動画を見せたでしょ、その後、これを読んでもらったの、そして私が手紙を読んだの"

"動画?何それ?" "手紙?その手紙どこにあるの?"

"手紙は便せんでなく、端末にあるものを読み上げたんだよ"

"ああそう、でもその手紙の事知らないよ"

 

!マーク沢山入れる代わりに一つ言及しておきたいことがあります。前回帰省時に気づいたのですが、午後、それも夕方になると、母の表情が急にしぼんだようになること。元気がない、活力が見られない、疲れた感じ、ぼーっとした、しょぼしょぼとした、そんな状態。この日も時既に5時過ぎ、その様な表情でした。

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"動画?このビラも手紙も知らないけど・・・寝てたのかな?"

 

買い物に行く前、ほんの数時間前には、感情を抑え淡々と手紙を読んだ私でしたが、

"母さん、あんたほんとにおかしいよ!?"

と声をあげてしまいました。

 

気持ちを静め、取りあえず覚悟を決め、

"わかった、それならもう一度はじめからやります"

と、動画→ビラ→手紙 を繰り返しました。今度は、母の表情も斜め前から見て取れる位置で。今度は母の表情も斜め前から見て取れます。

 

淡々とすすめはしましたが、前回とは比べようもありません。動画を見る母の目には生気がなく、ビラも取りあえず読んでもらいましたが、理解できたのかできなかったのか、私の手紙の読み上げも薄目を開けながら聞いていた"よう"でしたが、多分ほとんど頭には入っていないのではと私は疑っています。集中して聞いている様子は全くなく、”似たようなこと何度も言わずともわかってる"、じっとしたままでいるのがつらそうな面倒そうな、そんな風に見えました。反発するでもなく、ただ、ぼーっと・・・どこかを見つめ・・・。

 

"母さん聞いてる?"

"・・・うん"

 

半ばノルマをこなすように一通り繰り返しはしましたが、理解の程を確かめ場合によっては更に、という気にはもうなりませんでした。

 

以前、母の記憶は1日もたない、と書いたことがあったかもしれません。が、今、私は、それが数時間もたない、その様を目にしました。

とある記憶がすっぽりと全て消える・・・これはもはやMCIではなく、認知症かも、と私が思う所以です。

 

私は確信しました。

 

1日の中で、夕方以降と午前中で母は別人なのだ、と。午前中は往々にして明るく、それなりの記憶力も意識も"比較的"ある。

それが、午後から時が進むにつれ急激に衰える。そして始まるのだ。あれどうしたかな、これどうしたかな、様々な書類・手紙の(多分定期的に繰り返される)整理、娘のあれ、息子のあれ、くるくると頭の中を(今までもそうであった様に)色々な不安が急速回転し、堂々めぐりの悩みが増幅する、いても立ってもいられぬ不安、自分の意識が整理できないことで更に不安・怒りが増幅する。それは例えれば、何か捜し物をし始め、見つからないと更に不安になる、そんなときの私たちをつつむありがちな感情、それが母の場合は何倍にも増幅されたもので頭がいっぱいになるのではないか。そして、時間も相手も気にせず感情のままに電話をかける、そんな空間に母はいるのだ。

普通なら、ちょっと待てよ、と、それを理性と呼ぶのかはわかりませんが、並行処理することで私達は自らをコントロールしますが、母には並行処理はもはや全くできない。一つのことが頭に浮かぶと、それ以外のことを考えられないのだ。

 

よく読んでいたサスペンス小説を全く読まなくなったこの数年、夜更かししてでも見ていたTVドラマ/サスペンスもの、それも怖くなったから(?)と最近は全く見ず。傍らで観察する限り、積極的にニュース番組を見ようとするそぶりさえも見せたこともありません。長々とした文章、ドラマの起承転結の流れ、ペラペラと流れるようにアナウンサーが伝える内容・・・果たしてどのくらい理解できているのか、むしろ頭に入ってこないのではないか、と疑ってきましたが、どうやらそれが現実なのかもしれない、と今思えてきました。

 

今回帰省時、思うところあり、父がALSと診断された当時の経緯を知りたく、母に質問したときのこと。

”A医院だよ、ALSと診断したのは、だから、本当にALSだったのかは疑問だよ"

"いやいや、専門医でもない町医者のA医院ではないでしょ、父さんはずっとB病院に入院していたでしょう?"

"父さんが亡くなったのは自宅だよ"

"いや、母さん、骨折でB病院に入院したときも、その節は主人がずっとお世話になって云々と、自ら挨拶してたじゃないか"

"そうだったかね"

 

つまりだ・・・自らの夫の最後についても某かの部分は記憶から抜け落ちているのだ(少なくとも私と話したその時点では)。娘、息子との過去について記憶が抜け落ちたり、大きな誤解があったとしても、これでは、さもありなん、という状況なのだ。

<以下省略>

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*母に見せた動画、とはNHKクローズアップ現代のもの。Youtube、Dailymotionなどで「息子介護」で検索すると見つかります。